今、求められている「情報」とは
2011年06月20日 11:34
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911と311以降、世の中の「神話」や「権威」がガラガラと崩れ落ちています。
国や行政、企業やマスメディアへの「信頼」は、すでに過去のものになりつつあります。 自分で調べ、自分で判断し、自分の身は自分で守るという、当たり前な生き方が求められる時代になっています。 一方では、不安定な時代だからこそ、不安を解消しようと、新たな絶対的権威を求める風潮も強くなっています。 せめぎあいの時代でもあります。 様々な「情報」「価値観」が錯綜する中、市民メディアの役割はますます大きくなっています。 911と311を巡るメディアの介在で一番の違いは、911のときは政府発表をマスメディアがそのまま流すだけだったのに較べ、今回の311では、政府や東電の記者会見にフリーのジャーナリストが出席し、疑問を出し、ユーストリームでそのやりとりの全てを生中継したことです。さらには現地のライブカメラが、原子力発電所の爆発の瞬間まで放映し、それらはツイッターで一挙に多くの人が知ることになりました。 しかしマスメディアは、大本営発表や御用学者の安全安心デマを流し続けています。(最近、一部では変わりはじめています) 多くの市民が、大本営発表の怪しさを感じ始めています。 今、多くの市民が知りたいことを、市民の目線と立場から伝えること、それが今、市民メディアを拡げようとする私たちに求められているのではないでしょうか。 最近、原発関係の中継や映像発信をすると、生中継でも同時視聴者数が数千、録画だとアップして48時間で4万アクセスを超えたりします。 みなさん、知りたがっているんだなぁ、と感心するとともに、それは「知らせたいこと」であったから、やってよかったという喜びも大きいです。 「知りたい人」に「知らせたいこと」をうまく伝えられるようになりたいです。 数千や数万という単位はマスメディアに較べたら微々たるものですが、そんな個人でもできる情報発信が、日本全国数千数万人が始めたら、その影響力は凄まじいものになっていくでしょう。すでに中近東方面ではそんな個人の情報発信によって歴史が変わる契機になったのも事実です。 私たちが今やっている映像による情報発信は、まさに時代の最先端を行く仕組みですが、今一度、その内容について(あえてコンテンツとは言いません)、考えていきたいと思っています。 私は、本当は何をしたいんだろう。何を誰にどうやって伝えたいのだろう・・・と。 |