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私の初めてのボランティア記
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2012年08月20日 17:40
「私の初めてのボランティア記」
(匿名のかたから無償提供された飲料水2ℓ×163本を「旧・立ち入り禁止区域」へ届ける)
記・雨宮リカ


8月11日(土)
朝5時過ぎ、家を出て「経済産業省前テント」で1人、新宿駅前で1人の参加者を乗せて4人で
福島に水を届けに行きました。
11日はお盆の帰省ラッシュに入るという事は高速道路に入った途端、渋滞でやっと気が付く4人だった。
始めに二本松市の「知恵子記念館」に寄りました。
私は今回、福島に行くのは「知恵子記念館」を見たいというのが主でした。
安達太良山を車の窓から左に見ながら記念館に着いたのは家を出てから8時間余りかかっていた。
高速道路のノロノロ運転の不満も知恵子さんの真摯な発言や(「婦人の友」や「女性」のアンケート
などに答えた)やさしくきれいな切り絵の作品を見たら「あー、来て良かったなー」と、一挙に吹っ飛んだ。
大雨が降ったり止んだり、天候も福島に入ってから不順で心配だったですが、無事、
「南相馬市"社会福祉協議会"小高区ボランティアセンター」に水を届ける事が出来、後はボランティアセンターで
用意してある無料宿泊所に泊めてもらう事になり(日帰りの予定は渋滞により一泊することになった)
8時すぎの暗くなった道路を宿泊所を探しながら行ったのですが宿泊所はボランティアの若者たちが30〜40人程、
寝屋の横の広場のテーブルを囲み宴会か食事をしていました。
女性は6人の予約で女性部屋は綺麗で布団も用意されていましたが男性の方は寝る場所もあるかないかのような布団
が敷き詰められていて、どうするのか話し合った結果、若い人の中に老兵たちが入って来た事は一瞬座がシーンとなった
とか、年寄りだからこんな所に寝れない休めないという発言があり、
急遽ホテルを5軒フルスピードで回りましたが、どこも満室で、結局、一番始めに行って断られた「六角」に行って
おばさんにたのみました。2つ部屋は空いているけど、私は腰が痛くて2階には上がれないし次の客の用意もできないから
困るとおばさんが言うのを、私がベットメーキングもするし掃除もするからお願い、泊まる所が無いんですと押しまくり、
おばさんの好意で4人で計1万円の宿泊料で泊まる事が出来、シャワーも浴びてゆっくり眠る事が出来ました。
翌日の朝、村上海水浴場跡に行きました。
海は大波が押し寄せ海風に乗って海の香りがしました。
どのくらいの波がどのように押し寄せて来たのか。
逃げるにも高台もない海辺の附近は波にさらわれてしまった家々の跡や1年半経っているので壊れた家の片ずけられた後には
草原が広がり、少し行くと倒れた家や潰された家がそのまままだ何十軒もあり浜辺の一角には40体くらいの墓石が
(まだ新しそうなのが多い)一カ所に集められていて花が添えてありました。
その後、小高区の町や浪江町の立ち入り禁止区域まで行ってみました。
森閑とした人の住んでいない町(人も車も見ない)、それら初めて見た震災の町の風景はテレビで2011年3月11日以降何度も
もっと悲惨な震災福島をくぎ付けのように見て来ているのに今回実際に現地に行き自分の目で見た福島の風景はテレビはどこか
画面の中の映画やドキュメンタリーでも見ているかのような感覚があるのではないのかと思う様に自分の身体を運んで五感で感じ
見る(臭いとか佇まいとか)事とは大きな差があるのだと思いました。
知恵子さんの生家や安達太良山や作品も印刷物としての詩や絵を見て自分でイメージしてつくり上げた安達太良山や知恵子像も
「知恵子は東京に空が無いといふ 安達太良山の山の上に毎日出ている青い空が知恵子のほんとの空だといふ 」(高村光太郎 詩)
私はずーっとどんな空だろうと思っていたけれど安達太良山の方面に広がる空を見て、別に東京の空と余り変わらないじゃないのと思い
(安達太良山はやさしくおだやかな曲線を描いて遠くに霞んで見え、イイ山だなーと思いました)知恵子さんが見ていた頃の空は今より
ずっときれいな空だったのかも知れないと思いまた、知恵子さんが生家から見た空は特別に見える知恵子さんだけの空だったのかも知れ
ないとも思いました。

帰路、車が栃木県に入った時、なぜかほっと安堵の気持ちになりました。それで、ああ私は緊張していたんだと思い、
また少し経つと目に涙がにじんで来ました。
福島の風景は離れてみると残酷で異様なもう見たくない極限の風景だと思いました。
車は首都圏に入りました。
高層ビルやマンションがせせこましく立ち並ぶ景色が現れました。
今まで何気なく見ていた景色がなんだか死の町のような、日本は沈没してしまうのではないのかと思うように見えました。
福島の人のいない町には悲しみや怨念の魂が眠っている。
それを背後に置いて来たような気がした。
「百聞は一見に如かず」と昔から言われているけれど自分の目で確かめるという事はこのようなものであるのかと私は
引っ込み思案でいつも遠くからぼんやり憧れのように
何かを見たり想像していた人で、しっかり現実を見たくない弱虫だったのではと思いました。
まだ遅くはない。
気が付いた所からこれからはふりかかる現実を恐れず行動して行きたいと思う。
新宿に着き、喫茶店で20分だけ(300円の駐車時間内で)ご苦労様会をして解散した。
今回参加した4人は車中で喋りたいことを夫々勝手に話し、おしゃべりはあっちこっちに飛び広がりのある話で(文学好き
が共通していた)自然体だったので
それで長時間の車の旅も気がまぎれ楽だったのかなと思います。


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以上、代理投稿します。
長船青治
山田がく

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私の初めてのボランティア記
【返信元】 私の初めてのボランティア記
2012年09月29日 14:16
遠くからありがとうございました!
みなさまの活動に感動しました!感謝いたします!
このような活動の広がりを今後も期待しております。
二本松住民(横浜市民)