ヨコハマ・フィールドワーク/都市のミームの「【お願い】 自己紹介・意見交換・参加募集」
「【お願い】 自己紹介・意見交換・参加募集」の書込一覧です。
【お願い】 自己紹介・意見交換・参加募集
【閲覧数】5,177
2009年08月16日 00:46

◆このコミュニティーへ踏み込んでくださった方々へ



せっかくですから、皆さんが互いにどのような興味を、映像やアートや、もしくは当プロジェクトでありますフラヌール(非目的行動、あるいはその状態にある人)やブリコラージュ(卑近なモノに対する見立てや転用)に感じていらっしゃるか、など、自己紹介に代えて簡単に書いていただけたらありがたいです。

他のメンバーの方々との親交の機会にもなるでしょうし、興味の重なる方どうしで当プロジェクトからの「派生プロジェクト」も芽生えるかもしれませんし、僕自身もここで抱えています複数のプロジェクトのどれかに誘惑したくなるかもしれません。要するになにが起こるかわかりませんが、自分の嗜好を述べたり、意見を交わしたり、疑問を投げてみたり、共感が生まれたり、ときには喧嘩したりしながら、互いに関係を深められたらよいな…と思っています。


また、ここではプロジェクト(トピック)を越えて、さまざまなご意見やご感想を気軽に書きこんでいただけるような「交差点≒プラットホーム≒市庭(アジール)」が実現できたらよいなと思っています。

今後の共同フィールドワークにおいての雑感から問題点、プロジェクトにたいする疑問点やあらたなアイデアなど、気付いたこと、考えたことを遠慮なく書き込みしてください。上記に「自己紹介」をお願いしましたのは、それぞれの趣向やご専門やヴィジョンのもつ多様性(違い)こそが私たちにとっては貴重な視点であり、資源にほかならないからなのです。なぜなら、私はあなたを生きることができないからです。

「非日常とは、他者の日常である」と私たちは考えています。それは「私の日常」に裂開をもたらし、豊かな贈与をもたらしてくれるものです。そんな裂開=贈与をお互いにわかちあうことは何にも代えがたいことだと思っています。



(…と、またまた堅苦しい言い草になってしまいましたが、これもまた他者=裂開のないモノローグのなせる仕業にほかなりません。)
ともあれ、今後ともよろしくお願いいたします!

書き込み数は14件です。
[ 日付順 ] [ 投稿者順 ]
経過報告 有吉達宏
【返信元】 ヨコハマ国際映像祭 、その後…
2010年09月29日 15:30
皆さんこんにちは。

アニメ作家の有吉です。

CREAMヨコハマ国際映像祭の記憶も日常に交ざりゆき、冬の気配が見え始めてきました。

僕は、冬の近づく感じと雪の結晶が服に触れしんみりと溶けていく浸透感ってちょっと似ているのでは?などと思ったりしつつ過ごしています。

 近況報告をさせていただきます。

 NHK名古屋と「あいちトリエンナーレ2010」の連動企画「FIVE dreams」という企画で、3人のアニメーション作家の一人として「ある心の旅」というアニメーション作品をつくらせていただきました。音制作者の、大表史明、釣心会の二人とコラボして、「場所」をテーマに制作しました。

 テーマとして選んだ場所は滋賀県は米原市の志賀谷という、古い慣習を引き継いだ情緒豊かな場所でした。琵琶湖近辺、特に湖北には集落ごとの民族宗教儀礼「オコナイ」というものが盛んであり、志賀谷の地にも独特な形で継承された「オコナイ」がありました。志賀谷の「オコナイ(華の頭)」に大きく特徴的なものが、御幣(オンベと呼ばれています)がヒトガタに近い形になっているというものがあります。

 CREAMでは都市をテーマに横浜をフィールドワークいたしました。今回はある意味真逆と思われる地に触れてみました。都市と志賀谷との比較で見えてくることを短直に言いますと、志賀谷に行くことによって都市の持つ雰囲気(位相)が明確になってくる感覚がありました。都市に抱く感覚の中にも、主となるその都市の雰囲気と、隙間やベールに隠された異物の感覚というのはあるのですが、それらの個々のイメージは拡散するというよりも、特定のイメージに連なっていくという感じでした。志賀谷の地でフラフラと歩いて感じられた感覚は、既知の概念(川に抱く感覚、山に抱く感覚)と類似した感覚からスタートし、あとはゴールの無いどこかへ拡散していくといったものです。既知の概念(個人的記号)が自分の体から離れ小さな粒になってその対象物に吸い込まれてしまうような感じです。

 今回アニメーションに入れたものはヒトガタ化してものを見てそのソースを探って得られた感覚です。御幣のヒトガタ化に対しては、それはヒトガタではなく男根だ、精霊かもしれない、いやアイヌのイナフだというような意見もあり、また実物(高さ2m程)を見させていただいて抱いた感覚は人というより人の皮膚を何かに重ねたものというようなものという印象を得たりしたのですが、志賀谷の代表者としてお話をお聴きした方の御幣(オンベ)を持つ様からは人を扱っているという意識を感じました。

 オコナイに含まれる様々な催しの中には部外者には理解不能なものがほとんどで、混乱することが多々ありました。今回のヒトガタ化というテーマで取り上げたヒトというものには、その混乱を含めた全てが入ったブラックホールであるという意識を持っています。

 現地でピンと来た風景をヒトガタとして擬人化して認識し、親密感を得てそのヒトガタのソースを探ったり、御幣(オンベ)に感じるヒトガタを描いてみたりしました。作画中ふいに琵琶湖のイメージがでてきたりと、様々に揺れながらつくっていった結果としてアニメーション作品ができあがりました。

 現在、「あいちトリエンナーレ2010」長者町会場、中愛ビル地下1階にて
「夢境」岡田昭憲、音:志人、DJ-DOLBEE
「春風列車」倉田愛実、音:ビバ☆シェリー
「ある心の旅」有吉達宏、音:大表史明・釣心会
「円街家族」岡田昭憲、音:志人
「君に触れる」有吉達宏、音:有吉奈々帆、声:東菜実、影山恵理子

の計40分をループで上映させていただいております。

 会期期間中の2010年10月31日まで、11:00〜17:30(※土曜は11:00〜17:00開場です。※日曜、祝日は開場いたしません。)の時間に上映しております。

 お時間の合います方は是非足を運んでいただきたいです。
よろしくお願いいたします。

有吉達宏 拝
ヨコハマ国際映像祭 、その後…
【返信元】 【お願い】 自己紹介・意見交換・参加募集
2010年03月30日 04:44

個人的な経過報告ですが、フラヌールおよびブリコラージュ調査のレポートもまだまとめていない状態のまま、
その後の問題意識についてとりとめのない文章を書いてみました。

● 亡霊としての芸術
 http://genbaken.com/essay/nakashima/nakashima2.pdf

ちなみにこれまでのプロジェクトも有吉達宏(東京藝術大学大学院)と協同しながら進めていく予定です。
また同時に、これらのテーマはこの春から研究員として迎えられた多摩美術大学・芸術人類学研究所においても
中沢新一さんたちとともに深めていけたらよいなと考えています。

現在、有吉達宏はNHKから委託をうけた新作アニメーションを制作中です。
今回は都市ではなく、湖国の地でフラヌール(動物化)しながら出会った不思議な呪物と、そこから得た着想を
作品化しています。まさにアニマから発したアニメーションです。

なお、この新作は「あいちトリエンナーレ」にも招待上映されますので、ぜひご高覧ください。

● 愛知トリエンナーレ招待作家ページ(上映スケジュール)
http://aichitriennale.jp/artists/video-programs/tat…yoshi.html


中島 智拝
フラヌール(遊歩者)にかんする抜粋メモ
【返信元】 【お願い】 自己紹介・意見交換・参加募集
2009年09月14日 03:49

フラヌール(遊歩者)にかんする抜粋メモ


「遊歩者が町を徘徊するときに耽っているある追憶としての陶酔の素材となるのは、彼に感覚的に見えるものだけではない。この陶酔はしばしば、ただの知識を、いや埃をかぶった資料さえも、自ら体験したり生きたものであるかのように吸収しつくすのである。」(M1,5)

「ハシッシュを吸うと、絵画で知っているある種の事柄…を再現する。」(M2,3)

「人間は…常に…野生状態にある ! …人間は、目抜き通りで詐欺の相手を抱きしめようと、未知の森で獲物を刺そうと、…もっとも完璧な猛獣ではないだろうか。」(M14,3)

「完璧な遊歩者にとって…数の中に、波打つものの中に…居を構えることは、無限の歓びである。…世界を見つつ、世界の中心にいながら世界に対して身を隠していること、…それは言葉では不器用にしか言い表せない。…その人を、そうした群衆と同じだけ巨大な鏡になぞらえることもできる。意識をそなえた万華鏡に、ひと動きごとに、多様な生が、生のすべての要素の流動する魅力が見える万華鏡になぞらえることができる。」(M14a,1)

「散歩中…この孤独と瞑想の時が、一日のうちで気が散ることも妨げもなく私が十全に私であり、私のものであって、自分が自然が望んだ通りのものであると本当に言うことができる唯一の時なのである。」(M20,1)

「遊歩者は周知のように『研究』しているのである。…芸術家や詩人が一番仕事に没頭しているのは、彼らが一番仕事が暇そうに見えるときのことが多い。」(M20a,1)

【引用文献】ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論Ⅲ 都市の遊歩者』三島憲一、他訳 岩波書店1994


以上、参考文献からの抜粋でした。
本当は、「『パサージュ論』講読」のようなトピックを立てるつもりでしたが、ベンヤミン(パリ)とのズレを考察した原稿下書きは用意してあるものの、ゆっくり入力しながら推敲していく時間が今はありませんので、とりあえず参考までに僕が同意した部分のみ引用させていただきました。
なお、この引用文もまたすべてがベンヤミンの言説ではありません。ここではボードレールやルソーの言説表現もベンヤミンによって引用されています。しかし、ことにフラヌールにかんしては、〈誰が〉言説化したか、よりも、誰かが〈それ〉の言説化を試みたことのほうが重要だろうと思われます。
ともあれ、ベンヤミンもまた「フラヌール」と「アート」の相似性を強く感受していたという点に、僕は共感を抱いています。このことは以前『陶酔論』を読んだ時にも感じるものがありました。それはオルダス・ハクスリーにも通ずる〈変性意識〉でした。ちなみにハクスリーも(化学的な)陶酔のなかで初めて「画家の知覚」を体験した、と述べています。
余談でした(つねに余談かもしれません…)。とにかく、参考にしていただければ幸いです。

さて、今月は19日の「プチ映画祭」のあと、翌日20日には「フラヌールフォト・フィールドワーク」、23日には「フラヌールビデオ・フィールドワーク」が予定されています。
また近日中に改めて参加者を募りますので、ご都合が合いましたら是非ご参加ください。

では、よろしくお願いいたします!


Re[2]: 【お願い】 自己紹介・意見交換・参加募集
【返信元】 Re: 【お願い】 自己紹介・意見交換・参加募集
2009年09月08日 12:20
「再魔術化するアート」読ませて頂きました。
この活動に参加しなければ、生涯読むことは無かったと思います。
私の人生は残り30年程ですが、学生さん達は60年以上あります。ターニングポイントが30年違いますが、先生の考え方に出会って学生さん達は”得をしたな~”と感じました。

何だか参加者のフィールドワーク作品を見るのが、とっても楽しみになりました。

13日は、野毛山のGに参加しますので、途中から参加させてください。
19日は、残念ですが家族旅行(連休)で参加できません。

宜しくお願いします。

tom

Re: 【お願い】 自己紹介・意見交換・参加募集
【返信元】 【お願い】 自己紹介・意見交換・参加募集
2009年09月08日 07:52
トピック「第三回談話会」では、フラヌールは理解できるものだろうか?という論点が浮上してきています。

とても刺激的な意見交換でわくわくしております。tom-sunさんに感謝いたします。
この点につきましては、ほとんど「フラヌール」は「アート」に置き換えても、同様に論じることが可能だろうと感じております。参考までに拙文「再魔術化するアート」(副題:〈技芸〉の不可知性と遍在性についての冗長なエッセイ)http://www.genbaken.com/contents/discussion/nakashi…ima1_0.htm  をご覧いただければと思います。
これはもう二年以上前に書いたものですが、ここでは、技芸=アートというものが「理解」というレベル以前において人類に遍在している「資質」の一つなのではないか、ということを述べさせていただきました。

じつは今回のフラヌール調査もブリコラージュ調査も、この問題意識の延長にあるものです。そうした「資質≒野性」は〈都市〉においていかに立ち現われてくるのか?という問いです。
そこで重要になるのがトピックでも浮上してきました幻想(ファンタスマゴリー)という問題です。目的意識や慣習的行為のなかからフラヌールを見ますと、これは幻想的段階にしか見えない。ところがフラヌールの側から目的行動を見ますと、その目的(=幻想)に囚われている状態にしか見えない。そういう断絶が不可避に生じてしまうわけです。

ですから、こうした断絶を越えるためにはフィールドワークなどの実践が必要となってくるのです。これは単純に何かを観察調査するものではありません。フィールドワークとは(芸術制作と同様に)極めて内省的かつ観想的な体験なのです。そこには例の「資質」が表出せざるをえません。
美大ですと、こうした断絶はクリティックとアート、デザイン学科と油絵学科のあいだに生じやすいものです。例えばデザイン(これも本来、記号破壊の意ですが)側の学生は「ファイン系は社会的じゃないから閉じている」と言い、油絵の学生は「デザインは社会的だから閉じている」と言います。

というわけで、私たちはそんな断絶を基層的なレベルで溶解してしまうフラヌール調査やブリコラージュ調査への、皆さまの参加を募っています。ぜひ、ご参加ください。

では、以下の募集につきましても宜しくお願いいたします。
「フラヌールフォトプロジェクト」参加者募集
【返信元】 【お願い】 自己紹介・意見交換・参加募集
2009年09月06日 06:16
フラヌールフォトプロジェクト
−フィールドワーク調査−


◆説明

横浜市内で、フラヌールを写真により捉えることを目的とします。
当日、参加者にSDカードを配付します。その後、各自自由に横浜を歩き、フラヌールを撮影していただきます。撮影時間は大体3時間くらいを目処に考えています。
3時間後、また集合していただき、その場で撮影した画像を検証します。
SDカード内のデータは、パソコンに取り込み、空になったカードをお返しします。その後も各自撮影を続けていただき、よりフラヌールを体感していただきたく思います。尚、この日撮影した写真は、後のヨコハマ国際映像祭に写真インスタレーションとしての出展を予定しています。

◆ 日時

日にち: 2009年9月20日(日) ●雨天決行
時間 : 14時〜
場所 : JR横浜駅
* 必ずデジタルカメラをお持ちください。

◆ 連絡先

中丸友里恵(担当)
mail:apm06155yn◎ct.musabi.ac.jp(◎を@に替えてください)

* フィールドワークご参加、あるいは質問等のご連絡は上記のアドレスにお願い致します。       
* 当日の飛び入り参加も大歓迎致します。その際も、メールにてご連絡ください。


「フラヌール調査プロジェクト」参加者募集
【返信元】 【お願い】 自己紹介・意見交換・参加募集
2009年09月06日 06:05

フラヌール調査プロジェクト(ホームビデオ調査)映像素材提供のお願い


<プロジェクト概要>

このプロジェクトは、主に協力者からお借りしたホームビデオを素材にしたフラヌール映像を編集・作成します。
カメラを向けることによって、世界があらためて新鮮に見えてくるということが起こると私たちは考えています。しゃべるリズムに合わせてカメラを動かす人、対象の変化に合わせてカメラを動かす人など、無意識の内にその人独自の撮影の仕方やリズムが映像の中に生まれ、知らず知らずの内に〈撮影目的〉を超えた撮影がおこなわれているのではないか、ということからこの調査は始まりました。
この映像作品はヨコハマ国際映像祭メイン会場にて、展示・上映される予定です。

<募集内容>

横浜の町、あるいはその周辺で撮影されたものを主に募集しています。
日常の中で撮影されたごく普通なホームビデオを求めています。
うまく撮れていなくても問題ないです。手ぶれがひどいものなども大歓迎です。

<使用に際して>

皆さんから集めたホームビデオの部分部分を断片的にチョイスして、モンタージュのように組み合わせて2〜3分のイメージビデオのようなものを制作します。全く別の映像に別の音をのせたり、かなり細切れになると思うので原型のホームビデオとは全く違ったものになるかと思います。
個人の情報があまりにも密集しているシーンは使用しないよう気をつけます。

<映像の形式・メディアについて>

メディア:DVD(ブルーレイでないもの)またはminiDV、SDカード 
形式:AVI, mov, MPEG2
   *AVCHD, H264, MPEG2TSはこちらで扱えないためNG
上記のいずれかの形式にデータ化していただけると助かります。

<受け渡し方法>

郵送または、データ化しているものならメール添付
まずは下記までご連絡下さい。
art-matrix○hotmail.co.jp (○を@に替えてください)
 
茂木薫(担当)

「ブリコラ調査プロジェクト」参加者募集
【返信元】 【お願い】 自己紹介・意見交換・参加募集
2009年09月06日 06:00

ブリコラージュ調査プロジェクト
-画像アンケートのお願い-


◆ 内容

生活空間に堆積している自らの「記憶のパースペクティブ」や、生活財に投射された自らの「無意識」を解きほぐしていくためのアンケート調査です。

◆ 方法

「画像アンケート調査」
アンケート項目に沿って、参加者自身の生活空間を、自身のデジタルカメラやカメラ付き携帯にて撮影していただきます。
参加者にはあらかじめSDメモリーカードをお渡しします。一、二週間の間に撮影していただき、SDを回収いたします。後日、撮影画像を見ながらの話し合い(または質問票への書き込み)をお願いいたします。
この調査は、参加者の生活空間および無意識がもっているスペシャリティを共に発見していく旅です。そこで発見された宝物は当人のものですが、その旅程の一部(画像)は編集後にヨコハマ国際映像祭で上映する予定です。

※デジカメをお持ちでない方に関しましては貸与もしくは代行いたします。
※アンケート用紙は「都市のミーム」ブログからもダウンロードできますが、プリントが必要な方は、下記にご一報ください。

◆ 連絡先

中島 智(プロジェクト代表)
Mail : satoshin○musabi.ac.jp(○を@に替えてください)

Re[2]: 僭越ながら、お願いがございます‥
【返信元】 Re: 僭越ながら、お願いがございます‥
2009年08月29日 05:08
ヨウコ様へ


温かなお人柄をうかがわせる心のこもった書き込みを有難うございます。
まったく仰るとおりだと僕も思います。

フラヌールの「全容」につきましては僕たちもほとんど見えてはいません。
それは意識の彼方へと拡大していくとともに消失して見えなくなるのです。
ですが、そんな「フレームの見えない世界」の現れにわくわくせざるを得ないのです。
なぜなら、それは自分が知らない自分とも地続きだと感じられますし、そんな既成のフレームに収まらない未知と出会った際に〈不安〉に包まれるのか〈わくわく〉してしまうのかというと、やや後者に偏った人間だからなのかもしれません。
ですので、何を調査しているんだ?と怪訝に見られてしまうことも覚悟の上で模索しています(笑)

> 私は日本人にこそフラヌールが必要だと感じています。

このお言葉は重いですね…
僕のなかでは直観的に、フラヌールの必要性は「芸術」の必要性とも連動しているのです。
そして、「芸術」への無闇な信仰は、「芸術」への差別や排除と表裏一体なんですね。
ですので、そこはきちんと見ていきたいのです。

さらにこのことを「都市比較」と絡めますと、フラヌールの国際的な比較には、文化の「質」のようなものが表われてくる可能性もあります。
つまり、ヨウコさんが仰るように、「都市」も、あるいは「近代」も、一つの概念では語り得ないということなのですね。

僕自身は倉敷育ちの田舎者ですし、これまでのフィールドワークといえばいわゆる「僻地」に偏っておりましたので、「田舎」と「都市」とを大枠で相対化することならできるのです。
それは、共同体と集列体、すなわち相互扶助と同盟・契約関係といった、まさにフレームによるブツ切りです(笑)
ところが、いま都会の下町に住んでおりまして、やっと見えてきましたのが、一口に「下町」と言いましても住人たちはその地区々々の色や気質などを、ずいぶん明確に区別し、認識しているということなのです。
それはアフリカに住んでいたときに、はじめは分からないのですが次第に顔を見ただけで性格などが見えてくるのと似ています。いまでも映画を見るときは黒人俳優のほうが白人俳優よりも個体認識が容易なくらいです。
あるいは西表島でも、島民は島内の他の村々の気性をそれぞれ動物に譬えて語っていました(他の島嶼にたいしてはそのフレームは大枠になっていました)が、そんな認識作用が「都市」においてもなお働いているということが、田舎者(余所者)には見えづらいわけです。

そんな田舎者の弱点についてはスタッフ仲間とも話していました。
ですから、文化の深層に根差している「都市比較」のことも、その「都市内比較」のことも、横浜在住の方々と協力してやらなければ気付かないことばかりではないかと案じていました。
フラヌールに日本の独自性があるとすれば何なのか、同じ都市でも横浜の独自性は何なのか、あるいは横浜のなかにある地域性は何なのか…。そんな差異が見えてこないかぎり、フラヌールのもつ普遍性もまた見えてはこないだろうと思います。
もちろん、そこまでの意識化は必要ないのかもしれませんが、変化するものと変化しないものが必ず一対であるように、何かを見つめているときに〈片方〉だけを見て見たつもりになってしまいますととんでもない誤謬になることがままありますので、ぜひご教示いただければと願っております。

フラヌール フォト プロジェクトという共同フィールドワークや、ブリコラージュ フォト プロジェクトという画像アンケートを通して、さまざまなご教唆をいただければ嬉しく思います。
今後は、その他の3つのプロジェクトからも共同調査のフォーマットが出される予定です。どれでもご興味を持たれたプロジェクトを覗いてみてください。

ヨウコさんのフラヌールと都市比較の「体験」に思わず触発されて、とりとめなく書き連ねてしまいました。

興味深いお話、本当に有難うございます!





Re: 僭越ながら、お願いがございます‥
【返信元】 【お願い】 自己紹介・意見交換・参加募集
2009年08月29日 01:45
こんばんは。
15日の拡大クルーミーティングではじめて参加したヨウコと申します。
chinatsuさんのフラヌールに対する熱いトークを聞いて興味を持ちました。
まだ全容を理解できてなく、勘違いしている部分も多々あるかと思いますし、皆さんのように知的にかっこよく表現することはできませんが、私にとってのフラヌールを書いてみたいと思います。


私がフラヌール(と思われるもの)を初めて体験したのは、
数年前に東京都現代美術館で開かれていた
カルティエ財団のコレクション展を訪れたときのことでした。
(時間がたっているので内容はうろ覚えです。)
隔離された一部屋に複数のプロジェクターで5~6程度の映像がそれぞれ壁に映写されていました。
それは世界の各都市の風景を定点観測した映像で、
覚えているのは東京の飯田橋の朝の出勤風景、冬のニューヨークの朝?、あとは世界のどこだったか覚えていませんがそれぞれ個性ある都会の風景だったと思います。

まず目を奪われたのは飯田橋の出勤風景です。
そこには特別なものが映っていたわけでもなく、
会社に向かってひたすらつきすすむ人々、
毎日目にしているありふれた光景が延々と流れるだけでした。
それに対して、各国それぞれ個性があり、
世界の人々が持つリズムはそれぞれで、おもしろく、すっかり見入ってしまいました。

そして、閉鎖空間の中で、各国の映像を比較しながら見ていると、うまく言えないですが、不思議な感覚がやってきました。

飯田橋の出勤風景がフラヌールを徹底的に排除されたものだったからこそ、ほかの国でのフラヌールする人が浮き立ってみえてきたのだと思います。


私は日本人にこそフラヌールが必要だと感じています。
ありふれた風景でも、違った環境で見たり、写真や映像を通してあらためて眺めることで、日常で忘れていた大切なことに気付くということにもつながるのではないでしょうか。


まだまだ謎が多いですが、どのようなものができあがっていくのか、とても楽しみにしています。






Re[2]: 僭越ながら、お願いがございます‥
【返信元】 Re: 僭越ながら、お願いがございます‥
2009年08月21日 03:26
hiratos様へ

書き込み有難うございます!
四月におこなったヨコハマ・フィールドワーク計画発表会にもいらしたのですね。まさにおっしゃる通り、そのときのヴィジョンはフィールドワークを重ねるごとに強く「具体」として眼前に迫ってくる思いがしています。それでありながら決して捕捉できないような、深淵が開いていくばかりです。このまま巨大なクエスチョンを冥途にまで持ち込むのかな?という気分です。

人間の不合理性。それはフロイトが無意識を発見することで「人間の行動の殆どが不合理である」ことを例証した、と自賛しているように、極めて深い根を持ったテーマです。つまりそれは「価値」レベルにおけるパラドクスであると同時に、「価値」(=欲望模倣)と「欲望」との関係にまで深く根を下ろしているものなのでしょうね。

このことをhiratosさんは「未発の契機」や「潜在能力」という術語で翻訳してくださっているのだと思います。そしてそれはおっしゃるように、人類にとっての自由とはなにか、といったテーマとしても示現せざるをえないような射程のものだと感じられます。ほんとうに言葉にすれば浮世離れと感じるくらい難解な代物ですが、じつはすでに生きられている…という不思議(笑)

プロジェクトへのご理解に心から感謝してます。有難うございます。
今後ともどうかよろしくお願いいたします!
Re: 僭越ながら、お願いがございます‥
【返信元】 【お願い】 自己紹介・意見交換・参加募集
2009年08月21日 01:37
17日から参戦しました、サポートクルー平戸です。

どの程度のことができるのか試行錯誤になると思いますが、よろしくお願いします。

さて、
最初のYCCにおける、石垣島某村での例示に基づく説明の時に、これからのワークショップの取っ掛かりとのあるキーワードかな?と感じたのは以下のようでした。

都市生活での「合理的」に対する疑問とは、ノーベル経済学者アマルティア・センがリベラル・パラドックスと表現していた厚生経済的事象に符合する点が多いのではないかということです。つまり、最大多数の賛同に基づき形成される都市社会の価値観(パレート最適の原理)と個人の自由意思の価値観という相容れない価値原理を抱え込んだものであるということです。

とすれば、プロジェクトの向かおうとしているのは、
非目的行動を通した自由の発見、つまり、
現代社会の機会均等の中における選択の自由ではなく、行為主体自らが獲得した成果以上に価値を持ちうる、ある種の規範的価値を考慮に入れた「未発の契機」に繋がるもので、再度センの言葉をかりれば、潜在能力(Capability)への自由を試みる行為。

ではないかということでした。

Re[2]: 僭越ながら、お願いがございます‥
【返信元】 Re: 僭越ながら、お願いがございます‥
2009年08月17日 21:05
さっそく有難うございます!

フラヌールの意識は、観察と陶酔という一見相容れない心理が矛盾なく同居しています。それはちょうど作品の制作意識とも相似しているな、と感じながらフラヌールをやってます。
また、フラヌールは旅である以上にブリコラージュでもありますね。遊歩者はその場その場を屋内に見立てたり、自然の地勢に見立てたりしながら、都市という「人類の巣」を余すところなく愉しんでいます。
いわゆるデッドスペースと命名されてしまいがちな場所こそが彼らにとっては豊かな見立ての場となりえます。そこは多用途の、さまざまな見立てを許容する、明滅するアジールにもなります。
そんな彼らの眼差しから学ぶものは膨大にあります。それは本来、アジール→市庭→都市といった交差点のありように透視される「公共圏」のマトリクスだったり、あるいは人類の豊穣な「動物性」だったり…と、きわめて示唆に富むテーマばかりです。

今度ご一緒にフラヌールしましょう!
Re: 僭越ながら、お願いがございます‥
【返信元】 【お願い】 自己紹介・意見交換・参加募集
2009年08月17日 17:27

こんにちは
映像祭でインターンをしてますchinatsu66です。

都市のミームプロジェクトに興味をもつきっかけになったのか
昔、読んだ本の中から一部、ご紹介したいと思います。

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『室内旅行家』ド・スメートルより学んだこと

いま現在、この崇高なスペクタクルに歓びを味わっている人がどんなに少ないことか。
居眠りしている人類の為に、空はむなしく素晴らしい見世物を繰り広げる。
散歩に出ている人たちや劇場からどっと出てきた人たちが一瞬、空を見上げ
頭上に煌めく星座を嘆賞したところでどれほどの手間だというのか?
彼らが空を見上げない理由は一度も空を見上げたことがないからだ。
自分たちの世界は退屈だと考えてしまう習慣に落ち込んでいて
私たちが通りを歩くとき、何か美しいものに注意することも
何か連想を追うことも、何かに感動したり感謝することも
目に入ってきた要素から哲学的な脇道に逸れることもあらかじめ排除されていたのである。
その代わりにあったのは、地下鉄の駅に大急ぎで行かなくてはという、しつこい呼び声だけであった。

わたしたちが砂漠を横断した人を、氷冠に乗って漂流した人を、ジャングルに進路を切り開いた人をみてきた。
それでもなお、彼らが何を見届けたのか。その証拠を彼らの魂に探ってみてもむなしい。
ピンクとブルーのパジャマを着て、自分の寝室という限られた場所の中で満足したド・スメートルは
私たちを優しくそっとつついて試してごらんと促すのである。
地球の遠い半球に出発する前に、わたしたちが既に目にしているものに注目してみたらと。

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フラヌール(遊歩)することで、
地理的に遠いところへ出かけていかなくても
すでに住み慣れた街の中に、また別のものが見えてくるのかな?
そうだとしたら、それをみてみたいし、感じてみたい
と思ったので、参加しました。

これから、はまっちでも色々と話していけるとうれしいです。
よろしくおねがいしますー