デッケル(Nanning Dekker,1820?~1860)とデ・フォス(Wessel DeVos,1818?~1860)
オランダ人の商人デッケルは1860年2月26日(日曜日)の午後7時頃、当時の横浜の目抜き通りである本町4・5丁目付近で、仲間のオランダ人船長デ・フォスとともに何者かにより斬り殺された。オランダは幕府に犯人の検挙と処刑を要求したが、犯人はついに捕まらなかった。
その前年1859年8月25日にも同じ本町通りで、ロシア士官ローマン・モフェト(Roman Mophet)と水兵イワン・ソコロフ(Ivan Sokoloff)が日本人に襲われ、斬り殺されている。
デッケルとデ・フォスの殺害事件に対し、幕府はオランダに1700両を支払ったが、これは外国に対する賠償支払いの最初となった。
(出展:維新史料綱要3より)
デッケルとデ・フォスの墓(オランダメモリアル)
横浜外国人墓地の最も古いエリアである22区に建てられている