大きな揺れを横浜で体感しました。
今までに体感したことのない、揺れでした。
横浜本社ビル高層16Fの窓辺の会議室でした。
(まだ新しいビルだから大丈夫ははず。。)
心の中で思いましたが、大きな揺れに船酔いのようなゆらぎが
長く続き、(外に放り出されるのか、ビルが崩れたらどうしよう)
机の下から、半泣きながら恐怖に怯えていました。
同僚が
「大丈夫だから。。」といって
手を握っていてくれました。
いつもは強がりな私ですが、この時の揺れと
何かがぐわんぐわんぶつかる金属音との恐怖で、机の脚にしがみつきながら
(早く、おさまって。。と祈っていました)
数分が、何分もの長い時間に感じました。
その後、何度も揺れる地震に、平然と打ち合わせを再開するメンバーに
私自身は、ドキドキが納まりませんでした。
フロアーの中央にTVがあるので
宮城県沖の大きな地震であることをすぐ知ることができ、
津波注意報のニュースをすぐ見れました。
幸い、会社では電気は通常に供給されておりました。
但し、エレベーターと階段へ続く廊下シャッターが自動的に降りたため、
現実的には、その場所から動けない状況になりました。
高層ビルでは、すぐには移動や外に出ることが自由にできなくなるのを
初めて感じました。
暫くしてから防災センターから放送が入り、
「建物は安全です。建物の中に留まってください」とのアナウンスが入りました。
フロアーの中では、書類が入った比較的低い書類キャビネットが
倒れていました。
その後、会社の指示により会社でずっと待機していましたが
電話と携帯電話は通じませんでしたが、社内ネットワークのメールが通じ、
何人かと安否確認ができました。
家族とは数時間、連絡がとれなかったので
そこが不安でした。
手持ちのスマートフォンで インターネットラジオを聴きながら
交通情報を聞くことが出来ました。
会社の中にはさまざまな状態の方がいました。
従業員、出張者、お客さま
近くにいた人と、励ましあって状況を把握するしかありませんでした。
帰宅難民者向けに、1Fのフロアーが開放され、
赤ちゃんを連れた方や、横浜駅周辺で買い物をしていたような方たちが
配られた毛布にくるまって、過ごしていました。
被災地から、離れた横浜でも
このような混乱が起きたのですから、当該県民の方々の恐怖と混乱は
想像を絶しますが、地震いつどこであうか判りません。
冷静な行動がとれるのか、自分を見つめる貴重な体験になりました。
。。。
久しぶりの投稿です。
それくらい
心に残る 1日でした。