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2007年11月08日(木) 
ある地域の市民から要望があり、真摯に受け止めて対応した。
法的手続きも整ったので地域に報告。
ところが・・・
一部の人にだけ便宜を図るのは、もめ事のタネじゃないかという地域の人の意見。
誰も不利益になる人がいないのに、なんでもめることがある?
すご~くがっかりする。
となりの人が少し便利になる。
そうすると相対的に不幸になるの?
一人ひとりが幸せの絶対基準をもち、幸せになることをためらわない社会が実現するといいのになあ・・・

閲覧数6,955 カテゴリ日記 コメント10 投稿日時2007/11/08 08:32
公開範囲外部公開
コメント(10)
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  • 2007/11/11 16:02
    最終的に、「じゃあ、やっぱりみんなで我慢しましょう。」ってなるとしたらとても残念なんです。
    前任を含め、今まで「それは構造的問題です。我慢してください」で、済まされてきた。
    そういう負のバランスがとれていたところに一石を投じてしまったのでしょう。
    私自身は一人ひとりに丁寧に説明していくしかないと思っています。
    時間的にはとてもしんどいけど・・・
    皆さんの善意を信じ、もめ事は起きないと信じていますよ。
    次項有
  • 2007/11/11 15:39
    hopeさん
    うーん。
    他人の成功を喜べないことはよくない/ひとの幸せを幸せに思う人間でありたい、という精神論では、じつはなかなかこういう状況って、解決しないような気がするんですよね。

    他人の幸せをよろこべない人や地域には、とてもこみいった事情があると思うのです。
    自分(や自分の所属する地域・組織)が不幸であるとか、差別されているとか、そんなふうに思ってしまって頑なになっている。

    それを理解していくこと、どうしてそういう寂しい状況になってしまうのかという「構造」を冷静に分析して、話を聞いて、少しずつ解きほぐしていくしかないような気がします。
    それがパブリックな立場にある人たちに求められている役割ではないかなあと。

    えらそーに、いろいろいって、すみません…。


    次項有
  • 2007/11/11 12:41
    悪平等が多すぎると思います。
    万人受けすること。このことが幻想に過ぎないことも
    多々あるにもかかわらず。

    ボクだってどこかに、羨ましいとか、ひがみといった
    感情を持つこともあるけれど、

    それ以上に他人の成功や、うれしい出来事を
    自分のことのように喜べる気持ちのゆとりを持ちたいですね。

    逆に人がつまずいたり、うまくいかなかった話に
    飛びついて、立ち上がれないほど叩いてしまう。
    そんなことに日ごろの憂さを晴らすことが日常だとしたら...。

    ずいぶん寂しい。

    そう、一部の人が手にするハッピーな話が
    もめ事のタネじゃないなんていう人に是非、申し上げたい!

    それはアナタ次第です。
    次項有
  • 2007/11/10 09:40
    皆さん、コメントありがとうございます。
    職業柄あまり詳しくは書けませんが、ちょっとしたことなんです。
    「みんな我慢しているんだから仕方ない」とみんなで諦めるより、隣人がその「仕方ない」から解放されたら、素直に「よかったね」と言える、私自身はそういう人になりたいですね。
    「合意形成」とは、譲り合いですよね。一つの席を争って奪ったり、牽制し合うのでなく、「どうぞどうぞ、私は次でかまいませんよ」って、それで自分も相手も幸せな気持ちになるのになあ・・・
    まあ、これからも真摯に意見を聞き、私の考えるところを一人ひとりに説明していくしかないんですけどね・・・。
    次項有
  • 2007/11/10 09:16
    。iRiさん
    詳しい状況がわからないので、半分想像ですが…(的外れだったらごめんなさい。)

    普通の人が普通に幸せにしてもらう場合は、それほど抵抗はないんでしょうね。でも、すぎちゃんの立場が相手にそう思わせるのでしょう。公平という言葉を振りかざして自我を通そうとする人がいるんですよね。

    踊る大捜査線で、警察は恨まれてなんぼ、なんて言っていましたが、どんなに相手のためと思ってやってあげても報われません。

    他人の不幸を喜び、他人の幸せを疎む人の心が悲しいです。
    次項有
  • 2007/11/09 15:24
    sugi-さん
    「一部の人にだけ便宜」ねえ。
    同じ瞬間にすべてのひとに便宜を図りにくいからなぁ、、
    何事も。
    次項有
  • 2007/11/09 15:23
    hopeさん
    一人ひとりと、まちとまち、そして地域と地域。スコープを拡大していくと都市部と農村部、南北問題、って構図になってしまうのでしょうか。
    すくなくとも、距離の近い隣の人の幸せをよろこべない「その人」/「その地域」の不幸に、むしろ耳をすませてあげる必要があるのかもしれませんね。
    次項有
  • 2007/11/09 04:47
    ♪あの人を立てたなら その人の立場がない
    大切な人だから どっちみち板ばさみ

    クレイジーケンバンドの「暴動」という曲の一節を思い出しちゃいました。ホント、みんなが同じ基準だったら、幸せかもしれませんね。違うから、人間なんでしょうね。

    どうも失礼いたしました。
    次項有
  • 2007/11/08 16:20
    たかずさん
    「幸せになることをためらわない社会」
    色々考えてしまいました。
    コメントには長くなりそうなので
    ブログにつらつらと書いておきます~
    次項有
  • 2007/11/08 10:30
    幸せになることをためらわない社会、いいですね。

    小さなきっかけが、次のアクションにつながることがありますよね。
    そう思い、お互いを支えていけば、幸せが連鎖していくはずだと思います。

    一人じゃ中々幸せになれません。人の手を借りて、幸せになる為の切符を手に入れて、幸せになったら、恩返しをする。

    そんな世の中になりますように♪
    次項有
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