「寿識字学校」の灯が消える/ガープの世界/かけがえのない営みを記録すること
2008年12月31日(水)
http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryxiiidec0812653/ リンクが消えてしまうので、下記に引用します。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇ 主宰の大沢さんとともに灯が消える/横浜の寿識字学校
簡易宿泊所が密集する横浜市中区寿町で、学校教育から取り残された人たちに文字を通して光を与えてきた「寿識字学校」。同学校を主宰していた大沢敏郎さんが十月、六十二歳で他界した。大沢さんは、生徒に自由に書かせた文章を教室で分かち合うことで、それぞれの人生を受け止めてきた。後継者はおらず、三十年続いた識字学校は休止した。生徒たちから「もっと続けてほしかった」と惜しむ声が上がっている。 識字学校は毎週金曜日、市寿生活館で開催されてきた。一九七八年、当時生活館職員だった加藤彰彦さん=現沖縄大教授=が、ある男性から「字を教えてくれ」と頼まれたことがきっかけで始まった。勤めていた出版社が倒産した大沢さんは、一九八〇年から学校を引き継ぎ、専従のボランティアとして教室を開き続けてきた。生計は専ら、公立学校の教員だった妻の浩子さん(61)が支えた。 今年三月、大沢さんは食道がんと診断された。抗がん剤を投与されながら九月の復帰を目指していたが、かなわなかった。 「学校に通っておらず、客の部屋番号や名前が書けず苦しかった。字を学んで自信がつき、大沢さんに未来を開いてもらった。識字学校がなくなると寂しい」。生徒の一人で簡易宿泊所を経営する在日コリアン一世、成且善(ソン・チャソン)さん(81)は嘆いた。 当初、識字学校にはさまざまな事情で通学できなかった日雇い労働者や在日コリアンが通ったが、八〇年代後半ごろからは、教育の原点を求めて教員志望の学生なども増えた。 大沢さんは毎回、詩を印刷したものと原稿用紙を配布。生徒に自由に文章を書かせながら字を教え、身の上話を聞いた。また、折々の酒席では、楽しそうに生徒たちと語らった。 参加したことがある大沢さんの長女、紅果さん(33)は「父がいるから生徒が集まっていると感じた」と話す。また、学生時代から参加していた横浜市立小学校教諭の吉田浩司さん(35)も「大沢さんには人間のすごさを見せてもらい、自分がどういう人間かということに向き合わされた」と振り返った。 加藤さんは「反差別の視点から、それぞれの人生がかけがえないことを浮かび上がらせ、文字で自己表現できるようにした。すごいことだ」と大沢さんの地道な活動について語った。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 同僚の女性記者・柏尾安希子さんが書いています。 わたくしは取材したことがなかったのですが、横浜市中区・寿町で識字学級を主宰されていた大沢敏郎さんが亡くなり、学級が存続できなくなった件を取り上げています。 メディアに大小はあるのでしょうが、そのうちの一つの役割は、人々の記憶すべき営みを、記録し、多くの人たちに共有してもらおうと努めることかもしれません。 こういう記事を読むとき、思い起こすのがジョン・アーヴィングの「ガープの世界」のエピローグです。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇ アーヴィングさんは、作中、主人公で小説家であるガープにこういわせています。 小説家は「死に至る患者しか診ない医師である」 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◆◇◆◇◆◆◇◆◇◆
そして最後、小説は次の言葉で結ばれています。 In the world according to Garp, we are all terminal cases. ガープによるとこの世界では、我々はすべて死に至る患者なのだ。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇ 記録し残し、共有していくということの意味、伝えるということは、「尊厳」「承認」などと深く関わっているような気がします。 大沢さんの下記の著作 「生きなおす、ことば―書くことのちから 横浜寿町から 」 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4811807111/flat-22/ これを買いました。お正月、読んでみようと思っています。
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カテゴリ日記
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投稿日時2008/12/31 12:24
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