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2010年04月21日(水) 
 昭和54年11月、地蔵坂の濡れ地蔵再建を記念して『お地蔵さま昔・むかし』という小冊子が発行された。発行部数が限定500部と非常に少なかったのは、おそらく町内の方々に配るために作ったからだろうと思う。
 その1冊を図書館で見つけた。

 
 そこにお地蔵さま由来の記事が掲載されていたのでご紹介しよう。
 タイトルは「また聞き噺 濡れ地蔵由来」。
 筆者は上保嘉保さん。


 港崎遊郭の「大まがき」のお職女郎が弁天鼻の断崖から身を投げたニュースは、野毛村から石川村に住む住人の間にたちまちに知れ渡ってしまった。
 
 「まあ可愛そうに、一寸お茶をひいたからって、3年もお職を通した妓を、毛唐に出そうとするなんて!」とか、「いや浜の廓はどうせあちらさん相手さ、あちらさんの方が日本人より優しいし、収入も多いって、かえって喜ぶ妓が多いのに、きっと〔きよ〕には誰か心中立てする間夫が居たんだろうよ」

 反響はいろいろでしたが、ただ何となく大和撫子の気概を示したものとして、当時の女性の間には評判は宜しいようでした。

 きよと呼ばれて根岸の浜に生まれ育った漁師の娘が、14の時に港崎の岩亀楼に売られた裏には、聞くも憐れな事情がいろいろとあったことでしょう。もう15の歳にはお職を張ったといいますから、きっと男好きのする綺麗な妓だったんでしょうよ。ちょうど天保の大飢饉のあった頃で、若い娘の身売りがあとを立たなかった時分でした。

 17,8の娘が、むくつけき異国の男の人身御供に出されるといえば、やっぱり生死の問題だったんでしょうね。吉田橋の関門を廓の派手な姿のまま、どうやって抜け出してきたんでしょう。一方は大岡川、片方は、その後埋め立てられた沼地にはさまれた土手の上を、すでにたそがれてきた堤道を、何かものにつかれたように、緋縮緬の蹴出しもあらわに、駆けていったのを見た人が、5、6人はおりましたそうです。

 

 堤の上からは今の埋地の一帯に葦が一面に生えて風にそよいでいるのが見え、ずっと「おさんの宮」の森が遥か向こうに見渡せたそうです。今の亀の橋の所には、形ばかりの土橋がかかっていて、この橋を渡ったところで一息入れるつもりか、随分苦しそうに肩で息をしながら、きよは休んでいたようです。

 橋を渡るとすぐに道は険しい坂道になり少し上がった所で、きよは額づいて路端のお地蔵様に手を合わせました。

 この根岸に出る切通しは、根岸の漁村から魚を売りに出る唯一の通路で、かつてはきよも父親や兄と三本杭を経て、今の石川村や野毛村へ行商に出たものでした。きっと思いのほか高く魚が売れた日などには、此のお地蔵様の面倒をなにくれとなく見ていた、坂下の婆さんの所でお線香を買って、今のように手を合わせてから、もう暮れなづんできた西の夕焼け空をあとに三本杭を通って根岸の浜へ帰って行ったのでしょう。

 

 話を元へ戻して、きよは泣きながらお地蔵様に何かお願いをし終わると、すっくと立ち上がって、それからどの道を通って十二天の鼻へ出たのかは全然判っておりません。

 十二天社の神主さんが、派手な着物の娘が社の前の山へ上る路を駆け上がって行くので、「これこれ、その路は崖に出るだけで、何処へも行けんぞ」と怒鳴ったそうです。

 一寸どうも様子がおかしいと感じて、神主さんは後を追いかけたそうですが、崖の上にいち早く辿りついた娘は、たちまちひらりと身をひるがえして崖下へ飛び込んでしまったそうです。

 ちょうど満潮のことで、きよの死体は上がりませんでした。岩亀楼からの追跡の男たちや、司直の手の者は、一遊女の身投げということで一件落着ということにしてしまったそうです。

 でもそれから後、きよとそっくりの娘が杉田の梅林の近くの茶店で働いているのを、何人も見たそうです。

 きよの投身した翌朝、お地蔵さまの面倒を見ていた婆様が、水にしとど濡れそぼって、そのうえ海藻が丁度お首から前垂れ掛けのように下がっていたのを見て、「まあ、この涼しいのに、お地蔵様は海に行かれたのかしら」と松の葉の束でいつもより念入りにお身体を浄めてさし上げたそうです。

 それから港崎の女子衆や、関内関外の水茶屋の女性が、誰言うとなく「濡れ地蔵」と呼びだして、よくご参詣に来るようになったそうです。

 私の母の里が松影町の亀の橋のそばで、かなり手広く鉄物商を営んでおり、「釘文」と申せば、老人の方々は、「ああ、あそこか」とお判りになるはずです。その里の祖父から私がまだ小学校へ行く前に聞いた話でした。



(つづく)http://sns.hamatch.jp/blog/blog.php?key=26572

メタ坊

閲覧数1,972 カテゴリ元町・石川町方面 投稿日時2010/04/21 10:35
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