2010年07月31日(土) 
 1971年、多田富雄は、東大医学部教授のころに、抑制T細胞を発見し、免疫システムは、実は異物さえ受け入れる機能があることを発表し、世界中の免疫学者から注目を浴びた。

 「免疫は、病原性の微生物のみならず、あらゆる“自分でないもの”から“自己”を区別し、個体のアイデンティティを決定する。(中略)免疫の研究は、改めて生物学的“自己”とは何か、“非自己”とは何かを検証する機会を与えてくれた。”非自己“の認識と排除のために発達したと考えられてきた免疫が、実は”自己“の認識をもとにして成立していたのである」『免疫の意味論』(1993年・大佛次郎賞受賞作)

 「免疫の自己には、寛容(トレランス)という現象があることも注意すべきことです。これは当然反応すべき異物に対して、まるでそれが“自己”であるかのように受け入れて、まったく免疫反応をしなくなってしまうのです。異物であるにもかかわらず、それを排除しないのです。(中略)免疫も、あるときは異物に対して容赦ない排除を、またある時は寛容と共存を選んで、個体を生物生態系に適応させていることがわかります」『免疫学個人教授』(1997年)

 世界的な免疫学者として、学会や講演会などで国内外を飛び回っていたが、2001年、脳梗塞に倒れる。右半身麻痺と声が出せなくなっていた。

 「初めて鏡を見せられて、私はあっと息を飲んだ。これが私なのであろうか。鏡に映っているのは、ゆがんだ無表情の老人の顔だった。(中略)死の誘惑が頭をもたげた。それは一日中私の頭から離れなかった。確実に死ぬ方法はないだろうかと思いをめぐらした」『寡黙なる巨人』(2007年・小林秀雄賞受賞作)

 2週間後、右足の指がかすかに動いたことから希望を持つようになる。その後リハビリに励み、杖を使い歩けるようにまでなった。話すにはトーキングマシーンを使い意思を伝達するようになった。

 「こんな体になっても、生きることには変わりない。いや、こうなったからこそ、生きるのに全力を尽くさなければならないと言い聞かせています。どうしても失いたくないのは、生きているという実感です。実は、病気になる前の自分を考えると、本当に生きる実感を持っていたのだろうかと、自信がなくなることがあります。本当は、前から生きるという実感を失いつつあった。半ば病んでいたということに気づいたのです。病気になって、初めて生きることの大切さを確かめた気がするのです」『露の身ながら』(2004年)

 2006年、厚生労働省は診療報酬の見直しによって、障害者のリハビリは180日に制限されることになる。リハビリに励んでいた多田氏は、自ら声を上げ、反対運動を起こした。

多田氏は脳梗塞で倒れた後、亡くなるまでの9年間に12冊の著書を出版している。
また、能の作者としても、数本の作品がある。

その後、ガンが見つかりその治療にも励んだが、ほとんど寝たきりの状態になった。しかしその体をおして、亡くなる10日前、2007年に設立した「自然科学とリベラル・アーツを統合する会」シンポジウムに出席し、最後のメッセージを伝えている。

亡くなる1ヶ月ほど前、番組担当者からの最後のインタビューに次のように答えている。
「長い闇の向こうに何か希望が見えます。そこには“寛容の世界”が広がっている」

※NHKスペシャル 100年インタビュー
http://www.nhk.or.jp/hyakunen-i/backnumber/2010_04.html

|閲覧数:183 |ドキュメンタリー/映画コメント(0) | 2010/07/31 01:34
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