質問。
国産材生協@神戸ってダメな例なの?
つぶれちゃった?
2008年2月2日(土)に横浜ベンチャーポート(横浜市中区太田町)で行われたソーシャルベンチャー創業志望者向けの講演。 以前読んだ「エコロジーショップ本日開店」の著者であり、御茶ノ水「GAIA」創業者。以前から気になっていた方が来られるというので、足を運んだ。 【著者プロフィールより】 日野 雄策 1957年島根県に生まれ広島で育つ。私立広島高校を卒業後、5年間の画学生浪人を経てアメリカに渡り心理カウンセリングを学ぶ。帰国後さまざまなアルバイトを経験した後、出版関係の仕事に就くが、思うところあって環境運動にかかわる。1989年神田神保町にエコロジーショップGAIAを設立。エコロジー事業のコーディネーターとして全国を行脚し、現在、ダムを止めた村『木頭村』の村おこし事業に専念している。 ・GAIA http://www.gaia-ochanomizu.co.jp/index.html ・きとうむら http://kitomura.jp/ ================================ 日野さん 広島で育つ。島根生まれ。父が原爆にあった。 瀬戸内海が公害で汚染されていた。背びれがとれたさかななど不気味なサカナがつれたりして、中学のころに文化祭で展示した。 小さいころから、原発・原爆・環境問題に関心を持っていた。 いつのまにか普通の学校を卒業した。高校時代は物理を勉強した。物理は何も真実を語っていないのでは?「相対性理論」に出会って、そう強く思うようになってしまった。 信じきっている世の中はこの状態で正しいのだろうか?と思うようになった。 物理の数値的な感覚で真実で表せないとしたら、それはアートでないか?と短絡的にも思った。(笑) りんご=物量・組成などを分析してりんご、といわれたら、そうだといわざるをえないが、 実際ほんとにりんごってそう? ほんとにおいしそうなりんごをつたえるのは 文学/絵画/音楽だったりするのでは。真実を語るにはアートしかないのでは? 大学受験も絵を勉強する=これが真実なのだということをいっていた でもそのころは、学ぶ=大学受験だと思っていた。 でも腑に落ちない。油絵を受ける連中=自分の絵でなく受験用の絵がある、と友人から聞き、驚いた=アメリカにわたって放浪した。 びっくりした経験もあった。NYで近代美術館にはいると はいったとたんにゲルニカ(ピカソ)がどーんとある。 日本だったら、監視があり、ガラスに覆われているだろう。でも、NYには監視なし。模写、写真撮影OK。お金がない人でも入場できる日があった。 日本はアートすら管理されているのがアメリカでわかった。 アメリカに驚いた。=日本に帰ってくると愕然として、違和感を感じていた。 放浪を続けオートバイで、山の中を各地回ってみた。 東京という場とイナカの格差があまりにもあった。 過疎。日本のイナカは、国を支えてきた山村だったはずなのに、高度経済成長時代に人材流出してしまい、人がいなくなって、構造変動あった。 =後継者がいなくなってしまった。 マスメディアに語られているのは、中央のことばかり。 これを変えるのに自分は力を注ぎたい。 マイノリティといわれているひと、地方で「苦労している人、がんばっているひとが報われる社会をバックアップしていく社会をつくるために、仕事をしていきたい。とおもった。 =環境問題は大きい存在 その後、東京・八王子にすむようになった。もともと書く・描く仕事はすきだった。 =ある出版社で文章書く仕事、制作ディレクションをしてきた。 最終的には広告宣伝するようになってしまった。 お金は稼げた。仕事して酒を飲んで、うまいものは食えた。 でも、自分がしたかったことぢゃない。=いつのまにかわけのわからないせかいでひたすら働かされていた。 ⇒一気に丸坊主にして会社を辞めた。 環境問題についての本を書き、本を作るのだと、出版社を立ち上げた。 丸坊主にしたのは、引きこもって自分の頭で考え抜くため。 ソトに出ると恥ずかしいから、自室に閉じこもって、その間、環境関連の映像企画を幾つもつくり、本の執筆などに一心不乱にとりくんだ。 =1988年、環境・エコロジーなんてまったく世にでていなかった。 本はうれなかった。 難しい道だと思わざるをえない状況だった。 でも、インターネットのなかった時代、なんとか情報得ようとぼくの本を買ってくれた人がいた。 そして、手紙をくれたり、会いに来てくれたり。熱い人たちと、本の出版を通して出会うことができた。 1989年 さまざまな環境系みどりといのちのネットワークの事務局。 参院選で日本版緑の党をたてて。その事務局だった。 カンパのお金代りに、大量の野菜と食べ物が送られてきた。やっていた選挙事務所で売り始めた。 通り沿いのおばあさんが「あら、お店ができたの?」と、買いに来る。 自分がそこの場所で挙げた手をおろしたくない。 地方から参加してきたひとはかえってやればいい。僕自身はそこにいて、継続してかりて、全国の地方の声を発信していきたい。というガイアという店をつくった。 お金がなかったので、大変ではあった。 しかし選挙やってちょっと野菜がうれたからやった、というからやったわけではない。 やりたいこと=気持ちだけで動くと失敗する傾向が高い。 調査し、マーケティングしなければ。 御茶ノ水での野菜販売= はたしてなぜ野菜が売れた?都会の人たちにおいて、泥付きやさいは目新しい。 出版社の人間がおおい=スノッブで、新しい物好き、生活はずたずた=健康にいいことしたい、通いが多い 神保町で野菜を売って売れる?やっていけるのではないか?と思った。 当時エコロジーという言葉もほとんど知られてはいなかったが、出版業界の人たちはアンテナがある。 「あやしい!」「なんだ?」となると、興味、好奇心をそそる。 単に、自然食!と書くと通り過ぎる。八百屋と書くと通り過ぎる。しかし「あやしい」場所だと「知りたい」という欲求がはたらく。 そして、その空間に足を運ばせたたら勝ち! みたことない=人間は知的欲求のたかい生命体だから、必ず知りたくなる。 わかりやすすぎても、だめ。 お店の業態をオモテ=看板やチラシ=に出した段階で、ターゲットをせばめてしまう。 アミューズメント、人間のもつ、未知なものに対する欲求を駆り立てる状況を演出する。 エコロジーのひと=アート好き 美しい野菜だ、という「町に野菜をいける」、という感覚で見せ、売ることにした。 木の台に、かごに美しく入れる。 店の前を通るアーチストが通りかかりに買いたくなるように見せる、=消費者を思いながらディスプレイする。 マーケティング=通りを通るひと、すんでいるひと、関係しているひと、それぞれの顔、ライフスタイルを思いながら、どんな思い、暮らし、興味をしているかを考えながら、商品をそろえ、ならべる。 いま、言ったマーケティングは細かいマーケティング。 じつはいま、世の中はそうではない。 大量消費向けマーケティングばかりが語られている。 売り上げの半分以上をCMにかけている企業がほとんどだった。 マーケティングを自ら作っているという状況=一人ひとりに細かいサービスは大変。 大量生産・大量消費ではむずかしい。むしろ消費者に同じ意識を持ってもらうように洗脳する。ある種、マーケティングはそういう手法をつかっている。 ざーっと、人びとの多様性の芽をうしなっている。個性がうしなわれととき、まとめて消費者を吸い上げる =過去にあった個人商店がなんでつぶれた? 昔は許認可制に守られていた。でもいまは規制緩和 =大手小売が画一的だが、利便性のある「ライフスタイル」を提供し、それを消費者が受け入れた。 「ワンストップショッピング」の合理性を訴えられて、それに応えるようになってしまう。 日本は1960年以前は大豆は自給していた。それが輸入大豆がはいってその価格が50分の1になった。=大手メーカーのしょうゆがあっという間にできるしょうゆをあっというまにつくり、安く、大量マーケティングで売る=各地の醸造しょうゆがなくなってしまい、世界の多様性がなくなってしまう。 ひたすら食べさせられ、ひたすら働かされている。 ブロイラーのようではないか? とてつもなく恐ろしい状況ではないか? エコロジー=多様性を尊重するべき いまはコマーシャリズム。数千億円の売り上げの1パーセントをつかうだけでエコ? しかしながら、もう少し自身のビジネススタイルを見直さなければ今の社会、おかしくなる。 日本の食糧6割輸入=4割自給 捨てている食糧のほうが、自給量(2000万トン)より多いという事実。 =もういちど、自分たちの足元を見直し、生活を見直さないと・・・ 一般の消費者に、伝えられる人を育てなければならない。 ボクがガイアやったときにおもっていたのは、物の本質を伝えるために、お店、事業をやろう。 お店は手段であって、目的ではなかった。 つたわった結果として経済結果がかえってくる。 もうからない=自分が大切にしている価値を伝える努力が足りていない、伝わっていない。 正しい経済は、伝わった結果として、果実をもたらしてくれる、ということ。 表層的な知識でなく、物の本質を知り、本質をエンドユーザー=お客さんに伝えなければならない。 自然食も淘汰の時代。大手がやってきている。昔ながらの商売をただ続けているところはシビアな状況だ。 自業自得=昔は、店がなくエンドユーザーが探してきてくれた。 深刻な事情(アトピーなどの病気)を抱えたエンドユーザーが向こうからやってきてくれるので、店が努力せずとも客から来てくれたよかった。 =最初の情熱はなく、店内に気を遣わず、商品や野菜の本質・情報を語って、消費者を育ててこなかった。 =単にものをかうだけでなく、いままでしらなかったことを教えてくれる人として、ショップを運営する側とお客さんのココロもつながる。情報への欲求とリンクすることをしてこないと、逃げてしまう。 スーパー=自動販売機でしかない。客に同じ対応をする。言葉もほとんど交わさない。 =個人商店が同じことをやっていはいけない。 個人事業が同じことをやってどうするんだ。これからやる、個人事業=多様化された人びとを相手に、多様なアプローチ、接点を個々に結んでいかないといけない。 ガイア=若い人に譲った。 45店ほどの店のコーディネートをしてきた。 国産材生協 http://kokusanzai.jp/ などで調達した木材で内装するなどの工夫 (店舗空間自体にメッセージ性を込める、説明できるようにする) 農業NPO,エコ事業。 事業という言い方にこだわる。 ビジネスといいたくない。忙しく、きぜわしく、合理的に収益に結びつけるだけ、のBUSY-NESSということばでは表現したくない。 エコジョブ、といいたい。 ビジネスでなく、ビジレス=BUSYLESS=忙しくない、でいこう。 ⇒忙しい、忙しいというのは追われている。 自発的な意志であれもやりたい、これもやりたい、というのは忙しさでなく充実感があるということ。 ガイア御茶ノ水本店 =一フロア6坪ぐらいの狭いびる。6F。 イナカの荒物やさん、懐かしさ感じる空間のイメージ。 手書き=ライブ感 会話だけでなく、その先に環境の情報を知りたい人のために本のコーナーを設けている。 プラサード書店と同様・・ ガイア=衣食住・遊・知(情報)を網羅したい。オルタナティブなコンセプトで切り出してく、新たなライフスタイルの提示。 オルタナティブ=提案しないといけない。 雑貨はメーカーに行って卸をしている関係=300社。オーガニック食品だけでなく、生活を変えていく商品の流通をおこなっている。 小さな店、個人商店に卸をしている。オルタナティブな提案をしてそれを現実にするためにやっている。 自分が楽しむ空間をお客さんとコミュニケーションを楽しみ、時間を楽しむ。 だめになる個人商店=個人が自動販売機になっていた。そういう店、は低迷し、つぶれている。店を見せる場でなく、自動販売機としてあつかってしまった。 1600人の村でエコロジーショップができるか? 都会でない場所での、エコロジーショップ運営を成立させる、そういうプロジェクトに挑戦している。 山のコンビニ&みやげ物&地元無添加食品 環境NPO=環境改善事業をやっている。食べていけるNPOをめざす。 里山保護から個人保護、造園業延長などを提案している。 株式木頭村=黒字経営をやってきている。農家からゆずを仕入れている。 里業ランド=NPO 放棄農地を管理する/自然循環農業をそこで実施する。公共事業減で、立ち行かなくなった建設業の人たちの雇用の場にもしている。 きとうむら=ゆーずという地域通貨も使っている。30店舗=29店舗でつかえる。パーマもかけられるし、自転車も借りられる。 都会のひととのコミュニケーションのツールとしてゆーずツアー。 農家の人の家に泊まるとき、お金で払うと旅館法(?)に違反してしまう。 そこで「ゆーず」で宿泊代を払う。 これがうまくいくのは、きちんとした実体のある商品としての「ゆず」があるから。 ぼくはこれを「ゆず本位制」と言っている。 日銀も調査にきた。 http://kitomura.jp/use.html このツールをつかって、コミュ二ティをより密に、うまくつなげていきたいとしている。 |