お教えいただき、ありがとうございました。
訂正させていただきます。
関係者のみなさま、失礼いたしました。
今年3月に死刑が確定した光市母子強姦殺害事件で 弁護団が再審請求を起こしました。 多くの批判を起こしたドラえもん説や 矛盾だらけの母胎回帰ストーリー、 加えて、 実父からのDVを理由に情状酌量を訴えてきた弁護団ですが、 今度は、元少年が愛する「亡き実母からの虐待」を追加、 精神的未発達で罪に問えない、としています。 「実母の虐待で精神的発達妨げられた」 弁護団、再審請求 新証拠提出へ(産経10/29) http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/121029/trl121…007-n1.htm 弁護団にとってのゴールとは「死刑回避」「勝訴」なのでしょう。 それは、弁護士としての有能さを示すベネフィットとなり得ても クライエントである被告の元少年のベネフィットでしょうか? 「実母の虐待」とは弁護団の依頼で精神鑑定を行なった 野田正彰教授(関西学院大学)が 『週刊ポスト』2007年8/17・24日号の記事で 明らかにしていることのようです。 ≪父親は、結婚直後から、母親に恒常的に暴力を振るっていたよ うです。これは実家の母や妹が外傷を見ています。…(中略)…母 親は親族からも遠く離れ、近くに相談相手もおらず孤立した生活 を送っていた。その中で、長男のAとの結びつきを深めていった。 母親はAに期待し、付っきりで勉強を見た。Aも、母親が自分 の面倒を見てくれることが本当にうれしかったと語っています。 そしてAが小学校の高学年になると、2人の繋がりは親子の境 界をあいまいにする。母子相姦的な会話も交わされるようになり ました。 母親から「将来は(母とAとで)結婚して一緒に暮らそう。お 前に似た子供ができるといいね」と、言葉をかけられたことがあ ったといいます。 「母の期待に応えられるかどうか、本当に似た子が生まれるのか 不安だった」と、Aは当時の心境を振り返っています。 Aは私との面談で、母親のことをしばしば妻や恋人であるかの ように、下の名前で呼んでいました。それほど母親への愛着は深 く、母親が父親の寝室に呼ばれて夜を過ごすと、「狂いそうにな るほど辛かった」とも話しています。≫ http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/noda-masaaki.htm 実父の暴力を苦に、実母は自殺未遂をくり返した結果、 被告が12歳で首つり自殺を遂げました。 その変わり果てた姿を被告は目撃することになります。 あるいは、弁護団の主張する「実母の虐待」とは このことかもしれません。 こうまで情状酌量の材料をコレクションするのだから きっと死刑回避は、 弁護団の考える被告のベネフィットなのでしょう。 しかし、カウンセリング的に クライエントのベネフィットとゴールを考えたら 被告が今まで果たせなかった 精神的な成長のチャンスを奪っているようにしか どうしてもわたしの目には映らないのです。 2008年4月、調査のために被告との面会を行なった 長谷川博一教授(東海学院大学)は、 弁護団から「弁護団からの依頼としての鑑定」を持ちかけられ 中立の立場を維持することを表明すると、 明かな面会妨害を受けたことを 自身のHPで述懐しています。 http://www.tokaigakuin-u.ac.jp/hasegawa_hp/hikari.html 今年の上告棄却(事実上の死刑判決)に 「死刑判断を回避するに足りる特に酌量すべき事情が存在」は たしかにあると認めるべきと 反対意見を述べた宮川裁判官も(判決自体は支持) 死刑を回避するのではなく、 被告に対し(社会での厚生でなく) 罪に向き合うために人間としての成長を訴えています。 ≪被告人は,適切な処遇を得れば,時間を必要とするが,自己を 変革し犯した罪と正しく向き合うよう成長する可能性がある… (中略)…精神的なサポートを受け,ある程度安定した状態にな いと困難であるため,定期的なカウンセリングが望まれるとして いる。…(中略)…平成16年2月,自ら進んで教誨師による教誨 を受け始める等,年月を経て,現在は,次第に事実と向き合い, 贖罪の気持ちを高めつつあることをうかがうことができる。≫ http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiKbn=0…eiid=82012 ゴールが、たとえ死であろうとも そこへ向けて、人間は成長していきます。 人として、罪を受け入れ、償うこと、 その成長のサポートこそ、 クライエントのベネフィットにつながる、 と、カウンセリングでは考えます。 彼が鬼畜であった過去を変えることはできませんが、 人として未来を迎えることは、まだ、できます。 介護も同様のことがいえます。 介護は育児と違い、未来がない、希望がない、死に向かう、 というネガティブなイメージを持たれます。 しかし高齢であろうと、死がわたしたちよりちょっと近かろうと それでも、人は成長します。 その現実は、実にたくましく、いつも勇気づけられます。 「それでも人は成長していく」 それこそが、希望であり、喜び。 そこに、勝ち負けはありません。 |