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2014年06月27日(金) 
第二話「オーナーシェフ誕生」

政夫がホテルで料理長を任されて10年、さまざまな地元の食材や素材を活かした創作料理を手がけて、大学ノートにこつこつと書き留めてきた「料理メモ」も50冊を超えた。失敗もあれば満塁ホームランもある。同じ食材でもその鮮度でできあがる料理がまったく違う。試行錯誤のなか、だれにも喜んで「美味しい!」と共感してもらえる料理を目指して研究を続けてきた汗の結晶だ。ホテルを出ると決断したとき、8年間ずっと政夫の下で下積みを続けてきた一番弟子に、そのノートを託した。きっと彼なら、更に努力を積んで創作の奥行きを深めてくれるはずだ。

「辞表を出す」と泰子に告げると、まるで予想していたかのように「やっとその日が来るのね」と応え、タンスの引き出しから一通の通帳を取り出してきた。最初の欄には結婚した日付と1,000円が記帳してあり、それ以降20年間、不定期に入金だけが積み上げられ、最後のページでは相当まとまった金額が記帳してあった。苦しいときも手を付けることなく、内助の功ですこしずつこつこつと貯金をしてくれていた「開業資金」だった。

どちらかと言えば、衝動的に近い形での退職だったが、ホテルのオーナーも政夫と泰子の新たな旅立ちを歓迎してくれた。その後もときどきふらりと「まさちゃんの味が恋しくてねぇ」とレストランにお客さまをつれてきてくださる、若くて半端で頑固な料理人を自由に育ててくれた恩人には、いくら感謝しても足りない。思い返すといつも素晴らしい人たちに支えられて今がある。

物件探しもなかなか難しい。ここで手助けしてくれたのも、やはり地域づくりの友人だった。いくつもいくつも一緒に物件を回ってくれ、飲食業のコンサルをしている友達を紹介してくれて、まるで自分事のように、そしてほとんどボランティアでつきあってくれた。おかげさまで、街中の繁華街からは少し離れてはいるが、若干の駐車場も確保できる閑静な住宅街のマンションの一角を破格の条件で手に入れることができた。

店舗の改装ができるまでのしばらくの間、政夫と泰子は「美味しい」と評判のレストランの中で、地元の食材にこだわった店をピックアップして食べ歩きをした。政夫はもちろん料理、泰子はもっぱら大好きなワインや接客。それぞれに得意な分野で、自分たちの店に役立つ情報収集に明け暮れた。おかげで泰子は半年で7キロも太ってしまったが、その成果は「ネットの情報はまったく信用できない」という事実だった。

ホテル時代に常連として利用してくれていたお客さんや仲良くしてもらっていた料理人仲間から紹介された店は、素材や料理法、環境、接客に至るまで、どこかに唸らせるものが間違いなくあった。しかし、ネットで評判になったり、雑誌に紹介されていたりする店からは、ほとんど学ぶものはなく、反面教師も少なくなかった。おのずからふたりの合い言葉は「クチコミがじっくりと広がるお店を創ろう」となった。

一家総出でご近所に手作りチラシをポスティングして臨んだオープン初日の大安吉日の土曜。11時のオープンを待ちかねたように来店された最初のお客様はマンション自治会の山本会長さんご夫妻。すでにお仕事はリタイヤしているが在職中は世界を股に掛けた外国航路の航海士。もちろん、世界の料理を熟知した超グルメで、奥様も料理教室をされている強者カップル。この人たちに「旨い!」といわせることができたら、まずは合格点と考えてよしとできそう。

「本日のランチ」の肉料理をお選び頂いたご主人には、前菜に「季節の彩野菜を使ったサラダ」を。旬の野菜の新鮮さを存分に楽しんで頂くために、スティック状にカットして爽やかな柚子ドレッシングと一緒に召し上がってもらった。パスタは「前どれの明石鯛とムール貝のアーリオ・オーリオ」を。魚介の旨みとニンニク、オリーブオイルの風味が絶妙にマッチした逸品に仕上げた。メインの肉料理には「三田牛のタリアータ」。「肉の三田屋」で有名な牛肉卸をしている友人が、オープンに特別に用意してくれた三田牛のフィレ肉に、薫り高いトリュフを使った赤ワインのソースとともに。

お魚料理をご希望になった奥様には、坊瀬漁港から早朝あがったばかりのエビとスズキを絶妙のホタテのソースでからめてご用意。これにイタリアンドルチェのデザートとコーヒーをセットにして、ランチはおひとり1,500円というお代金。カウンターに並んだご夫妻は、素材のこととか料理法のこととかシェフの経験とか、さまざまな質問を交えながらおふたり笑顔で会話を弾ませていた。正午が近づき店内が徐々に慌ただしくなってきた頃、満面の笑みを浮かべて「ごちそうさま、ありがとう♪」と席を立たれた山本会長。泰子がレジで代金を告げると「間違いだろう!」と一言。「ここの料理は倍以上の値打ちがあるよ。今度自治会役員の打ち上げに使わせてもらってもいいかな」とありがたい言葉を残して、仲良く夫婦ふたり手をつないでドアを出た。

初日のランチは8組19名。ディナーにはホテル時代からの馴染みの人たちがお祝いに駆けつけてくれて、ほぼ満席の盛況となった。政夫と泰子の夢のレストランは、順調に滑り出したかに見えたのだが..。

つづく

この物語は、すべてフィクションです。同姓同名の登場人物がいても、本人に問い合わせはしないでください(笑)

閲覧数836 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/06/27 04:54
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