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2008年06月30日(月) 
イギリス人技師ブラントンRichard Henry Bruntonは、灯台建設のため明治元年(1868年)27歳で来日しました。明治政府第1号の「お雇い外国人」です。

彼は、1876年までの8年間に、日本の海岸に30余の灯台を建設しただけでなく、横浜公園、日本大通り、吉田橋(鉄橋)などを作るなど、広範囲に活躍しました。 (写真は、横浜公園にある、ブラントンの胸像です。)

彼が日本での体験を書き残したものが、「お雇い外人の見た近代日本」(徳力真太郎訳、講談社学術文庫) として出版されています。
その中で、彼は日本人について、次のように書いています。


「模倣の才と珍奇な物を好む性質の持主である日本人は、1870年(明治3年)頃には、ヨーロッパの製造品を、小児が玩具を欲しがるように、愛好品として所有したいという熱望が旺盛であった。ヨーロッパの新しい物がこの国へ入ってきた当時は、その所有欲は、実用品として利用したいというよりも単に珍しい物を所有したいという欲望が強かった。このような気質から全く馬鹿馬鹿しい事態がしばしば起こった。

例えば、当時の日本人は兎という動物を知らなかった。あるイギリス人貿易商が耳の長いこの動物を数匹日本に持ち込むことを思いついた。その結果は、日本人はすっかりこの可愛い動物のとりこになり、それを飼いたいと言う熱望が国中に広まった。商人はカリフォルニアやオーストラリアや支那で飼い兎を捜して買い集め、汽船が日本の港に入る度に数百の兎が船載されて来た。それでも兎に対する需要は一向に衰えず、熱狂した買手は一匹の兎に100ドルもの値をつけた。政府も驚いて輸入を制限するため兎の輸入に重税を課した。この措置で、さしもの兎熱も短期間で冷却して兎の輸入は全く途絶えた。」

彼は、1860年代、70年代に起こった日本人の最初で、長く続いた熱中の例として、「蒸気船を持ちたい」と言う熱望を、あげています。


閲覧数4,933 カテゴリ横浜開港150周年 コメント1 投稿日時2008/06/30 07:19
公開範囲外部公開
コメント(1)
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  • 2008/06/30 13:09
    Wikipediaで「うさぎ」を調べると、その「カイウサギ」の項目に次のように書いてあります。

    (もちろん日本にも「野うさぎ」はいたのだろうと思いますが、ここで言う「ウサギ」は "rabbit" のことで、それをペットとして飼うことが流行ったということのようです。)

    「日本ではオランダから16世紀に飼育用うさぎが輸入されたといわれる。明治にウサギ飼育が非常に盛んになり1872年に在来と外国の混血から生まれた更紗模様のある種雄は200円~600円で売られ、種付けは2~3円/回であった。子ウサギはコロとよばれ10円以上した(『風俗画報』310号 明治38年2月10日 在三河安城、久永章武による)。このため1873年に東京府(現・東京都)布達、兎取締ノ儀(1876年改正、兎取締規則)で頭数の届出、1羽1円の税金、無届1羽につき月2円の納入とされ、1879年に廃止されるまで続いた。」
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