まちかど遺産探検隊員の濱のリリーです。
ブログという存在をすっかり忘れていて、
私の中で記憶遺産となっていた昨今・・・
これじゃあいけねぇと反省し、キーボードを叩く サタデーヌーンです。
さて、地味な活動を継続している「横浜遺産の会」というグループがあります。
麺は、いやメンバーはなかなかシャレ者揃いで、
作家である隊長をはじめ、
プロの写真家、自称写真家、昼はOLで週末は都橋のスナックママ、似顔絵Barのマスター、公共施設の管理人、介護職人などなど一貫性のない面々。
共通するのは・・・
横浜が大好き♡ 好奇心だけは人一倍☆
そんなところでしょうか。
私の住んでいる南区内にも、
有名無名、眠っている町の遺産が数々あります。
それは風景、人物、、お店、、、神社やお寺、、、、と多岐に渡ります。
今年の2/8~南区総合庁舎が新しくなり、
今までの花之木町より浦舟町へ移転という運びとなりました。
それならそこで、今まで撮りためた南区の遺産を公表?
いや発表しようではないかい?ということにメンバー一致で
地域振興課にお話をしてみると、
「やってもいいよ~ん」という有り難いお返事。
そこで、写真展という形でやってみようやないかいな~ ということになりましてん。
南区新庁舎
即行動がモットーのメンバー達、土日の度に地区活動センター等に集って
ミー天狗、いやミーティングを重ね重ねてミルフィーユ♪
地元のコネを精いっぱい活かして・・・
写真プリントを安くしてもらったり、作業場所をうまく確保したり、
日頃使っていない脳分野をフル回転させて~~~
1/30(土曜)の新庁舎・竣工記念内覧会には、
正々堂々と区役所入り口すぐの展示スペースに輝ける展示をさせていただくこととなりました☆ めでたい(^O^)/
写真プリントは業者にお願いしたが、パネルの裏打ちのため段ボールを貼ったり
パネルに写真を貼ったりはぜ~んぶメンバーが行いました。
不器用なワタシも、慣れてるメンバーに教えてもらって切った貼ったの大仕事!手作りな展示なのです。
地域の方々たくさんご来場くださり、
1枚1枚丁寧にみてくださって、
「あっ!ここ知っている・・・え~っ、ここは知らないなぁ・・・」とお仲間同士で会話も弾み たのしいひと時を過ごしてくださいました。
そう、地域の方々が楽しむ☆それって本当にうれしいことですよね(*^。^*)
「横濱遺産の会」というのも、なんだか堅苦しくて・・・という感じなので、
「まちかど遺産探検隊」という名前に変えて、今回は南区なので
「南区 まちかど遺産写真展」というタイトルにしました。
区役所がオープンしてから、
区役所に出来たギャラリーを皮切りに、区内を巡回展示します。
準備や片づけ等は、メンバーが時間をやりくりしてせっせと行います。
手作り感いっぱいの写真展、、、内覧会時の搬入風景をメンバーが動画に♪
どうぞ観にいらしてくださいまし~~~
お帰りには、南区の地域にある 美味しいお店にも立ち寄ってくださいませませ。
・2/15~26*9:00~17:00(土・日休み)
南区総合庁舎(新庁舎)1階ギャラリー 南区浦舟町2-33
・2/28~3/12*9:00~21:00(休みなし)
フォーラム南太田1階ミニギャラリー 南区南太田1丁目7-20
・4/2~17*9:30~19:00(土・日・祝は17:00迄)
南図書館2階会議室 南区弘明寺265-1
お待ちしております~♪
☆2/28~3/12(休みなし・9:00~21:00*最終日は18:00迄)は、
日枝神社近くの「フォーラム南太田」です。設営完了!ギャラリー内の「めぐカフェ」では、
神奈川県の食材をつかった美味しいランチが食べれますよ(^^♪
レンガ作りの建物*中もレンガ敷きで趣のある造りです。
ひろびろとしたフリースペースでまったり読書もいいですよ。(フォーラム南太田館内)
3/5のTVK「ハマナビ」でも取り上げてくれました♪
6/30まで、吉野町市民プラザホール2階ギャラリーホワイエにて開催されています。
お近くにお越しの際にはぜひ、お立ちよりくださいませ。
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ヨーロッパ、アフリカ、アジアのはざまに生きたエジプト第二の都市…
アレクサンドリア
古代から国際的な都市であり、多くの言語や文化、人種が集まった。
…そのまちの風景や建物、人々の姿。
中川さんが惹かれて 何度か訪れ、撮影された写真の数々。。。
モノクロ、カラーの1枚、1枚の写真の中で 私は、訪れたことのないその都市に吹く風を感じる。
光と影、そこに息づく現代のアレクサンドリアの空気が素晴らしい写真から伝わる。
中川さんが写真を撮られた時から、私たちが観る今
写真を通して過去と現在が織り重なり、写真は永遠のものとなる。
ページをめくればいつもそこに立ち戻れる。
「アレクサンドリアの風」…なんとも素敵な響き♪
そして、パノラマウォーク2日目…「水の中の横浜」
漂うようなゆらゆらとした心地よいタイトルである。
横浜の中心部、大岡川と中村川をはさむ街区はかつて入り海だった。横浜は江戸時代から幕末、そしてその後も埋め立てが続けられそれによって発展してきた地域だ。水を連想しつつ、横浜の光と陰の残り香を歩いて味わう。
そんな趣旨であるという・・・
世田谷美術館の高橋さん・清水さん ご案内役の中川さんのご先導で、
またまた50名という大人数 参加者の皆さんとで歩いた歩いた。。。
桜木町から動物園通り~京急日の出町駅裏の天神山に行き
ストリップの老舗「浜劇」~男性の出会いの場「光音座」!
日の出町問屋街より黄金町へ…かつてのちょんの間跡
曙町の親不孝通り…かつての青線跡、お三の宮通りから日枝神社へ
甘納豆の老舗・おもやよりハマの日本橋へ
そこから運河・堀割川への分岐点より 白妙町、高根町~浦舟水道橋
三吉演芸場、中村町界隈、仲乃湯、はす池坂~山手への尾根を
唐沢公園、たぬき坂と・・・・
知る人ぞ知る ディープエリアの数々の展開、、、ご参加の皆さんは、観光地とは違う横浜を満喫されたのではないだろうか。
ダイジェストで拙い私の写真を☆
天神坂
ハマの日本橋界隈
電柱にはその名残が・・・
お三の宮日枝神社
はす池坂
VIVA☆ ヨコハマパノラマウォーク!!
]]>歴史家の機能は、過去を愛することでもなく、自分を過去から解放することでもなく、現在を理解する鍵として 過去を征服し理解することである。 歴史とは歴史家と事実との間の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのである。
(E・H・カー)
「パノラマウォーク」 素敵な響きである。
ただのまち歩きとはちょっと違うニュアンスを感じさせる。
さすが世田谷美術館!
学芸員の高橋さん、写真家の中川さん、お二方のセンスが光る☆
まち歩きはアートだ! (と誰も云ってはいないが…)
そう思わされるタイトルだ。タイトルはとても大事だと思う。
印象や参加の意義があらかた固まるように思える。
ここで改めてタイトルを紹介しよう。
第1回 5/9 『昭和/幕末 臨港行』
ふ~む、臨場感あるねぇ
第2回 5/23 『水の中の横浜』
むむむぅ~、洒落ている!!
世田谷美術館では、
今回のようなウォーキング、銭湯を巡る「銭湯パラダイス」等
街に出て 地形の起伏を楽しんだり、そこに息づく人々の暮らし、地域の歴史を垣間見るイベントを定期的に開催してるそうだ。
イベントの案内役として参加者を先導するのは、プロ中のプロの方☆
参加者たちは、
入念に企画されたものを
観て、感じて、解説に耳を傾け、、、自分の視点を合わせ、 一緒に参加している人と話をし、また帰宅後は気になったことを調べたりもするだろう。
美術館のアート展示を鑑賞するように。。。いろんなものと対話するのだ。
私はその①で書いたように、まちの景とダイレクトに通じた過去の自分や、その時関わった人たちとも対話したように思う・・・なんつって~(^^;
でもホントにそんな感じ。
パノラマウォークとは、
まちを見渡し俯瞰しつつ歩くだけではなく、
そこに横たわるもの、みえる、またはみえないけど息づいているものを感じ、
自分の内面にも入り、そこに思いがけないものを見出したりと・・・
かなり深いウォーキングともいえるんじゃないかなぁ、などと
1回目は6時間、2回目は4時間半という長い行程を歩きつつ
思ったりした。
前回は子安浜で終わってしまったが、それから・・・
浦島町から神奈川宿、袖ケ浦の景が感じられる田中屋などの茶屋のあった台町~浅間町~松原商店街を抜けて・・・(みどりのオバサンだった私は、写真をあまり撮っていないので、撮った場所のみをちょちょいとご紹介デス)尾張屋橋の下にあった
カフェー街へ。
1回目・西区南浅間町にある「新天地稲荷」にて
この辺りは元々湿地帯であり、港湾の荷揚げの親分、櫻井染五郎が埋め立てを行い赤線が出来た。保土ヶ谷には「楽天地」という赤線があったそうだが、こちらは「新天地」と呼ばれた。私は現在仕事で西区を回って個人宅を訪問しているが、この辺りを良く知る80代の方にきいたところ、お客は戦前は日本人、戦後(GHQにより)は米軍の兵士でかなりの賑わいだったらしい。
お稲荷さんを囲む小さな玉垣には、当時のお店の名前が赤い字で書かれている。櫻井染五郎さんのお名前もある。笹本という旅荘は今もひっそりと営業中。ちょっとこっそり入ってみたい衝動に駆られるが、ひとりでは無理なんだろう(^^;
ここから尾張屋橋を渡り、藤棚商店街を抜けて、戸部を通って岩亀横丁に。そこから掃部山~伊勢山を通って桜木町まで。そこで解散!
その後、音楽通りの居酒屋「ごっつあん」にて、打ち上げ飲み会が行われた。
その②、写真1枚だけで終了!<m(__)m>
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「家事の手を止めて、町へ出よう」と濱のリリーは云う。
まちへ出ると 宝物に出会える。
・・・人生の中に散りばめられた煌めきいろいろ
写真家の中川道夫さんとは、昨年の暮れ 商店街の夕暮れの中で出会った。中川さんは上海やエジプトのアレクサンドリアに何度も出かけ、写真集を出されていらっしゃることを その後で知った。
岩波書店から出版されている中川さんの写真集
「上海双世紀」 中川さんが上海と向き合い写された瞬間から時を経て、、、上海というまち、そこに暮らす人々、そこにある歴史的建築物、、、今私たちに伝えるもの、私たちが受け取るものいろいろ・・・
Wonderful!
今年に入って、「世田谷美術館のヨコハマパノラマウォークの案内役をやるので、歩く場所の下見をご一緒しませんか?」と 中川さんよりお誘いが。世界を歩かれている中川さんとまち歩きができるなんて、、、
Fabulous!
そして3月のある春の日の午後、
主催の世田谷美術館の学芸員 高橋直裕さん(世田谷美術館創設からの方で、ワークショップの達人と言われていらっしゃる・まち歩きの達人でもアラレル) と3人で、神奈川区~西区を歩きました。
本番は、先月
5月9日(1回目)&2週おいての5月23日(2回目)
連続シリーズ!
実は、私は18才~20代の初めまで鶴見に住んでいた。
その後南区へ。20代の中半からは中区で働き、30代は仕事で5年間神奈川区内を回った。現在も住居は南区で職場は西区。横浜に来てから関わりのあった5つの区を2回通して歩く今回のコースは、私にとって過去の自分と対話する、巡礼の旅でもあった。(世界を歩かれている中川さんとは大違いで、ちまちましてるな~と思うが)
1日目ー5月9日(土曜日)12:30 京急花月園前集合
写真撮影時はいつもお天気という中川さん。
当日は、「曇れ~ 曇れ~」と念じていたそう(^-^; で、 曇りました!大気、雲を操れる方、らしい。。。
コースは・・・
花月園前駅→生麦→子安→京急神奈川駅→浅間下→松原商店街→日用品市場跡と赤線跡(南浅間町)→尾張屋橋→藤棚商店街→戸部→岩亀横丁→掃部山→伊勢山皇大神宮→野毛→JR桜木町
私は後ろからついて、「車来ますよ~ 自転車通りま~す!」のミドリのおばさん的な役だったので
全てのスポットで写真を撮ってはおらず、抜粋的デス。
昭和色濃い国道駅から一気に幕末の江戸にスリップして、旧東海道の宿場を偲び、商店街などを楽しみながら そこに息づくまちの歴史を歩いて感じる。
町田市上小山田町が源流の延長42.5kmの1級河川。鶴見川と帷子川、大岡川水系沿いに「杉山神社」が分布、鎮座しているという話もある。(10代の終わりから20歳まで鶴見川の傍に1人で住んでいた)
鶴見と云えば、「生麦事件」・・・事件のあった場所は旧東海道であるが、
碑は 現在 キリンビアビレッジの近くに建っている。碑の前で解説をする中川さん。近くには、事件のことが詳しく解る、浅海館長が自費で開館した「生麦事件参考館」もある。(30代のころ、鶴見生麦魚河岸市場の仕事で毎日通った)
30代の私は某会社で営業職を。 担当地区のこの界隈をひたすら歩いた。〆日は、「帰ってくるな~ 少しでも踏ん張れ~~!」と声高々に朝礼で係長がパフォーマンスでいうもんだから、、、その頃の私もパフォーマンスで
入江川沿い、浜通りを行ったり来たりしたもんだ。。。思わず口づさむ、
「あれは何年前、歩く、私、蜃気楼みえる~♪」(byちあきなおみ・「喝采」のメロディで!)
生麦~子安はかつては小さな漁村で、子安にはビルと高速の間にその名残が今もみられる。江戸前のアナゴ漁は今も有名で、生麦の魚河岸通りには穴子専門の問屋もある。
子安浜に残る懐かしい風景には路地を歩くと出会える。
漁師さんだったお宅、銭湯、、井戸もいくつか、、、
まだ子安なのに ①終了!その②に続く~
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ハマっち・・・どこに行くのでしょうか?
誰が読んでいるのでしょうか??
と思いつつも、ときどき
「最近めっきりブログの更新していないね」と言ってくださる方がいらっしゃるのです。ありがたいことです。
爽やかな風の季節です。この時期に生まれたこともあり、
1年でいちばん好きなシーズンです。
(実は桜の時期が苦手なんです)
毎朝、出勤のためチャリに乗って風を感じながら黄金町は太田橋まで。。。
橋の袂の柳の柔らかなグリーンが朝の緊張を和らげてくれます。
突然ですが・・・去年の春・南区お花見ツアーの写真デス。
(桜苦手といいつつ)
まちあるきツアー、この1年ご無沙汰してしまっています。昨年の春、参加の皆さんとで桜を愛でながら・・・
大岡川沿いを 蒔田~井土ヶ谷~弘明寺と、歴史散策を盛り込みながら歩きました。総時間4時間也~~~
コースを考えたり、下見をしたり、スポット毎に一応歴史を調べたりするのは楽しいのですが、なんだか最近ちょっと疲れ気味なのは 微妙なお年頃のせい?
(最近のワタシの言い訳、コレばっかりのような)
でも、1人であのまちこのまち 商店街には定期的に行っています。
先週もチャリに跨ってお気に入りの商店街に行って来ました。
トンネル抜けて~♪ あっ、今回は抜けない道で(打越橋~山元町~柏葉経由)
「本郷町商店街」ですよ。
「豆工房」 ここは私が訪問介護士になった10年以上前に 初めて訪問担当した、今はお星になったおばあちゃんに教えてもらったんです。既に10年以上のおつきあい。ここのオーナーさんは、一心不乱に豆を煎り 本当に美味しい珈琲豆を焙煎しています。山手の「イタリア山庭園」のカフェにお菓子とともに卸していらっしゃる。 ご自宅に1袋からの配達もしてくれるという真面目っぷりです!!
*中区山元町2-97-16 Tel・・・045-663-7215
柏葉から本牧通りに。。。柏葉のブラフ積はいつみても惚れ惚れします♡
本郷町商店街、、、まず向かったのは
ここのお肉、本当に美味しいですよ~ 70年の歴史あり。 こちら横浜の牛鍋の老舗、「太田なわのれん」を創業した高橋音吉さんのご親戚筋だそうで、いまも太田なわのれんにお肉を卸しているそう。しかし、お店のHPにはそのようなことは書かれていない…おくゆかしいお店なのです。
*中区本郷町2-54 Tel・・・045-621-9409
そして春の果物は、なんといっても「苺」☆
ホラ、私は栃木出身ですんで~とちおとめ!ときたもんだ~!(^^)!
「森北八百屋」さん。 お隣の天ぷら屋さんの「福光」さんもここでお野菜を仕入れて揚げていらっしゃるんだそうです(^^)/~~~
春の味覚、タケノコが茹でてあり そら豆と一緒に買いました。
*中区本郷町2-37 Tel・・・045-621-5104
美味しいものを買うとテンションあがりますよね~ いなせ寿司の押しずしも買って・・・
本郷町から麦田の手前を左へ~ 大和町商店街にも寄って
「さゆり堂」さんでお友達にあげる春のガーゼタオルも買いました。お安く手に入り満足!
「さゆり堂」さんは現在はタオル中心ですが、商店の名前を入れたカレンダーやうちわ、そして名入れタオルを扱うお店だそうです。大和町について、まちの歴史にもいろいろとお詳しく教えてくださいました。
*中区大和町2-49 Tel・・・045-623-8512
そんなこんなで 1人チャリの商店街ツアー、約3時間でした。
他にもあっちこっち観測しつつ、、、
でも、夕餉の支度もしなくっちゃねぇ。
さぁ、いただきましょう。。。本日買った食材で作りましたよ~
故郷の地酒、「惣誉」もいただきましょうか。
「惣誉」は栃木県内で99%飲まれています。現社長がフランス等に紹介し、その味わいがヨーロッパで絶賛された日本酒として 横浜の君嶋酒店でも取り扱われています。
「横浜君嶋屋」 南区南吉田町3-30 Tel・・・045-251-6880
]]>日中はまだ暑い日も多いですが、朝夕の空気感が違ってきましたよね。
我がまち、住宅密集地にも 夜になると虫の声がきこえてきます。
既に1ヶ月が経ってしまいましたが・・・
私のブログを読んだ「青瀧稲玉会」の方がコメントをくださり、
滝頭の今年の夏祭り(宵宮)に行くことができました。
(ネットってすごい!と今更ながら感心しちゃいました~(^^)/)
9月に入って、横浜のあちこちで秋のお祭りが行われていますが
暑い時期の夏の祭礼も、濱のそこここで行われましたね♪
滝頭・・・
「たきとう」? 「たきあたま」??
横浜に来た当初は読み方もわからず、「たきがしら」という地名だと知って、
その響きが心に残ったのでした。
「滝頭」とは、
滝があったから・・・
滝は実は龍であったとも・・・
2年前に青龍稲玉会の遠堂さんのお宅にあった「青龍稲玉会の由来」によれば、滝頭は「龍の頭がみつかった場所」とあります。
この辺りには、塚や古墳が多かったといいます。
古より鎌倉ともつながりが深いみたいです。
また、「山手の龍脈」という言い伝えもあり、「滝頭」はその龍脈の始め=「頭」だったという説もあります。
滝頭から始まり、山手を通って元町まで。。。
龍には、・白龍 ・赤龍 ・青龍があるそうですが、青龍は東方の護り神だそうで、東方とは何処から見て東なのか?
というと…
それは、横浜の原点である「横浜村・洲干島」からみての東方向であり、「滝頭」は確かにその方向にあるのです。
滝頭の神社は磯子の八幡神社です。
チャリで掘割川沿いを滝頭に・・・
病院の脇に行くと山車に出会いました!
気合いの入った太鼓の音が響いてきました♪
歯切れの良い太鼓に合わせてリズムを取っていると・・・
「あのぉ、もしかして 青瀧稲玉会のことを書いてくれた方ですか?」
と、お祭りの半纏を着た若い衆の方がお声をかけてくれました。
滝頭の皆さんは気さくな方が多いです(^^)/
皆さんと神酒所に行くとお囃子がはじまり・・・
記念に神酒所の前で「青瀧稲玉会」の皆さんの写真を☆
来年は御神輿も拝見したいと思います。
思いがけずに滝頭の夏の祭礼の雰囲気が味わえた 8月の午後~夕方でした。
みなさまありがとうございました~☆
]]>最近ご縁があって訪れるようになった「西森稲荷」。
それは蒔田にあって、知る人ぞ知るお稲荷さん。
人との出会いもそうですが、神社やお寺もお参りをするきっかけがあり、ご縁ができます。
蒔田といえば、かの有名な新興宗教が思い浮かびますが・・・そちらとは関係がないとのこと。
しかし、その有名な新興宗教が戸部から蒔田に引っ越して来る際に この西森稲荷にご相談が来たそうです。
西森稲荷・・・
正式名称 「御嶽教会 西森稲荷神社」の昨年の「大祭」、今年の「節分」、再び今年の「大祭」に参加させていただきました。
今年の節分祭の様子。
今時珍しく、赤鬼と青鬼に扮した地元の方が登場し、集まった地域の老若男女が鬼に豆をぶつける!なんとも微笑ましい。
私も思い切り豆をぶつけてしまいました~(^^;
降参して逃げる鬼!
この西森稲荷は、古くからこの地に鎮座していて
明治時代に杉山神社と合祀されるも、神霊が氏子の夢枕に立ち、「この地に鎮し給う」と神託があったそう。
また、西森稲荷社の山の上は、かつて吉良氏の館があったところ。「蒔田城」とも呼ばれるその場所の 西の護り神=「西森稲荷」という意味合いもあったのでしょう、 と語るのは宮司である本多さん。
今年の大祭は、4月20日(日)に行われました。
恒例の釜鳴式祈祷神事がありました。
釜の中にお米を入れて蒸し、その釜が鳴ったなら吉兆ということだそうで・・・参加者も一人一人、お米をお釜に入れさせて戴きます。
昨年は残念ながら鳴らなかったのですが、今年は・・・
突然、「ぐおぉぉぉ~ん」と地響きがするような物凄い音が周囲に渡り鳴り響いたのでした!
今年は良い1年になりますね(^^)/
また、この神社の境内には 至るところに お稲荷さんがあり
それは信者が願いを込めて奉納し、また願いが叶ってお礼にもまた奉納した
そんなお稲荷さんの集合場所でもあります。
]]>そう教えてくれたのは知人のI氏...
横浜開港前の歴史に着目している 郷土歴史家であり、地霊研究家である。
数ヶ月前の
NHK ETV特集 「見狼記~神獣ニホンオオカミ」で 番組中こんな発言があったそうだ。
「こうしたオオカミ信仰は、幕末 急速にひろがったことが分かっている。
安政5年(1858年)の三峯神社の日記には「御眷属一万疋」とある。
わずか半年の内に1万枚の「オオカミ札」が下げ渡された。
激動の時代だった。ペリー来航(1853年)の翌年、東海・南海地方、さらにその翌年には江戸を大地震が襲い、津波も猛威をふるった。
とどめは「三日ころり」と云われたコレラの大流行だった。」
国立歴史民俗博物館 名誉教授 高橋敏氏は 番組内コメントとして・・・
「当時の人々は、なにか悪さがあると「キツネ憑き」という思考があるわけですね。
これは異国船が、あめりかキツネを乗せてきて、あるいは千年モグラを乗せてきて、
それを日本に放ったと。
あめりかキツネ、千年モグラと戦うのは それは日本のオオカミだと。
これは武州秩父の三峯山だ~!とお札に殺到したんじゃないですか。
遅れた迷信じゃないか・・・と片付けられないものがあると思うんですよ。」
秩父のオオカミ信仰が、安政5年のペリー来航と関連づけられようとは驚きである。
安政5年とは、日米修好通商条約により、神奈川(横浜)の開港が定められた年である。
私がオオカミの置物をみた神社の近くの高台の隅には こんなものがひっそりとある。
柵の中にある石碑に彫られた文字は・・・「避病院」
この地域の歴史を紐解いてみると・・・
この場所に伝染病の為の病院があったことがわかった。
それは横浜が開港してからのことである。避病院とは伝染病院のことだ。
開港の歴史を調べると、華々しい西洋文化の伝授がいくつも書かれている。
横浜からそれは伝えられ、日本は近代化へと駆け足で走って行った。。。
しかし、そんな時代の幕開け
新しい文明と共に、今まで国内になかった病も異国からやってきたことも間違いはない。
アメリカ狐やイギリス兎は、コレラを持ち込んで来た西洋の動物・・・いえ妖怪か?
千年モグラも同様に、異国伝来の妖怪と考えられていたらしい。
それに対抗すべく登場した「オオカミ信仰のお札」
欧米列強に開かれた開港場の横浜にあって けしておかしくないものである。
HNKの番組中でも、
「ペリー来航の脅威と戦えるのは、日本のオオカミ信仰である」 とコメントされたそうだ。
庶民が信仰した「オオカミ」。。。
そんな150年以上も前の名残が、今も横浜のこの地にあることに
当時の庶民の生活の中の不安や祈りを 近所のオオカミのお札から感じてみるのであった。
そして やはりI氏が教えてくれた ある一冊の本がある。
小倉美惠子さん著 「オオカミの護符」
川崎の宮前区に残る「オオカミ信仰」のお話だ。
いまや「たまプラーザ」となり、お洒落な街として有名になったその場所に
地元農家の人が、長い間心の拠所としてきた「オイヌ様」=オオカミへの思いが綴られている。
遠き昔から、日本人の心にある様々な風景の中に このようなオオカミ信仰もあることを
ごく身近な処から 初めて知ったのであった。
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少し前のことだが、近所の神社参拝の際 この様なものを見た。
どうみても これはお稲荷さんの狐ではない・・・
これはオオカミか?
三峯神社をはじめ、秩父地方には古くからオオカミ信仰がある。
オオカミは眷属(本来 姿形のない神が目に見える形で動物などを遣わすもの)。
有名どころでは、稲荷のキツネがそうで 他にもヘビやカラスなどもそう。
神直属の僕という存在?
秩父は山ぶかい地域であり、ニホンオオカミの生息地でもあった。
その地域の人達から「山の神」の化身とされてきたようだ。
オオカミは農作物に被害を与えるイノシシや鹿、猿などを追い払い、火災や盗賊に対して騒ぎ立てることで、いち早く里の人に危険を知らせるといわれている。
また旧家では、災難、悪魔除けとしてオオカミの頭蓋骨を神棚に祀る風習があるそうだ。そんなオオカミは御眷属としてだけでなく、神としても信仰の対象になっている。
秩父の峰々を修行の場としていた修験道の力もあって神となったようで・・・
それが元々土地の人たちが信仰していた山の神の風俗を取り入れ 「大口真神」をいう名前がつけられて 火災や盗難除けとされたようだ。
そんな秩父のオオカミ信仰が ここ横浜でみられるとはどうしてなのか?
そんな思いを抱きつつ ある日・・・
ご近所のあるお宅の入り口に貼ってあるお札に気がついた!
紛れもなく、秩父三峰神社のオオカミの護符であった。
ふ~む。。。
神社のオオカミの置き物といい この護符といい、
この地域にも「オオカミ信仰」があったのだろうか?
それは何故? どうして?? という疑問符がついた私の元に・・・
とあるお方から、今まで知られざる横浜のオオカミ信仰のお話が寄せられたのだった。
つづく・・・
]]>俺は俺の生まれた育ったこの街、横浜黄金町で私立探偵をやっている。。。
(映画であのテーマ曲と共に・・・オープニングの台詞)
私立探偵濱マイクは、1994~1996にかけて上映された
監督・林海象 主演・永瀬正敏
の横浜を舞台に活躍する探偵ものの映画。
横浜が舞台といっても、みなとみらいや元町、山手など
いわゆるイメージするヨコハマではなく、
泥臭い、裏横浜(黄金町界隈)が舞台。
マイクの事務所は、当時 黄金町(正確には若葉町)にあった映画館日劇の2階。
映写室の隣に事務所のセットが作られ、実在するまちの風景やお店が登場。
まちの人も起用されて・・・(ワタシの知っている方も何人かご出演されてる!)
虚と実がミックスされ、観る側を魅了した。
その後、2002にドラマ化されて、毎回個性的な監督の下
主人公以外のキャストを一新し、放映された。
永瀬正敏演じる主人公の濱マイクは、友達思いで正義感が強く 情にもろい。
「困ったときには いつでも来なよ!」 と懐も深い・・・が、常に金欠^_^;
探偵は目立たないように心掛けるものだが、マイクはいつも奇抜なファッションに身を包み、愛車のナッシュ・メトロポリタンでまちを走る。
夢は、探偵で稼いで 11歳年下の妹の茜を大学に行かせること。
そんな濱マイクに魅せられたひとりであるワタシ。。。
自分の住む ごく近くに まるで濱マイクが実在するのではないか、
と錯覚させるこの映画に夢中になり
当時、小学生だった息子を連れて、日劇に何度も通ったのであった。。。
そして、ファンの方々と 自主的に「濱マイクツアー」を何度かやった^_^;
(♡ツアーがきっかけでカップルになり結婚された方もいる♡)
濱マイクが作られて20年の月日が経ち、
主演の永瀬正敏さんが芸能生活を始めて30年の月日が経ったそうだ。
感慨深い。。。
そんなわけで、
今年の【横浜みなと映画祭】は・・・『濱マイク大回顧展』 !!
ボランティアスタッフの方々の尽力!パワーの集結!!珠玉のパンフです。
監督や永瀬さんの「インタビュー記事」、そして海象監督と行く、濱マイクが帰ってきたら?「ロケハンツアー」の様子、そして・・・
第四弾があるとしたらの海象監督書き下ろしの「血と薔薇」。
ファンには涙ものの内容が満載なのよ~~~
かつて 黄金町界隈、伊勢佐木町、横浜橋には
多くの映画館が林立して 賑わいのあるまちだったそうだ。
マイクの事務所があった日劇の前に 今もある・・・
今回の濱マイクの主たる上映館のジャック&ベティは、かつて「名画座」だった。
マイクの友人北村が営む精肉店(実際にあるお店)の斜め右には「大勝館」で
その前には「千代田劇場」という映画館があった。
そんなまちの様子を辿りつつ、実際に映画で使われた場所やお店(なくなってしまったところも多い)を巡る
海象監督公認の 「公式ロケ地ツアー」 も行われた!
その案内人として、「スナック幸子」のママとご一緒に
ワタシも映画祭にかかわることができました☆光栄ですm(__)m
17日(日曜)の映画版ロケ地ツアーの様子 You Tube でどうぞ↓
http://www.youtube.com/watch?v=dejdFdklY8U&feature=youtu.be
こちらは、ワタシが担当だった 平日ドラマ版中心のロケ地ツアーの様子デス
↓
●今もお店を営んでいらっしゃる貴重なロケ地(映画版)の一つ
(マイクの同級生がやってる精肉店という設定)北村商店のご主人に
撮影当時のお話を伺う。
●横浜橋商店街の一本海側、かつての遊廓に行く路地にある
ファンなら誰もが知っている 「コーヒーマツモト」(ドラマ版)
マスターが、色々な撮影秘話をお話してくださって、参加者さん大興奮!
20日の最終日には、永瀬さんも来店されたそう♪
永瀬正敏の10代の作品、「ションベン・ライダー」(監督・相米慎二)でも登場する
三吉橋界隈は、ドラマでも度々登場している。
そんなあそこのお店を何軒かご訪問♪
伊勢佐木町 クロスストリートの前には、ナッシュ・メトロポリタンが展示(土日・祝)
され、日曜日と最終日には、ナント!まちを走行した。
土日、祝には、クロスストリートで「トークショー」が開催され、整理券をゲットするために 早朝より多くのファンがジャック&ベティにかけつけた。
林海象監督は いづれのトークショーにも出演。
16日は、映画で妹の茜を演じた大嶺美香さんが出演。
17日はと20日は主演の永瀬正敏さんが(現在の撮影先の台湾から)~☆
ラストデーは、「遥かな時代の階段を」で母親役を演じた鰐淵晴子さん、妹役の大嶺美香さん、林監督の作品には欠かせない 佐野史郎さん、塚本晋也さんなど豪華ゲストが勢ぞろい☆
トークショーあとのラストの上映は、ジャック&ベティでのドラマ版最終回の
『ビターズ・エンド』(監督・利重剛) のあとも・・・ またまた監督と永瀬さんのトークが☆
盛り沢山の企画にファンは もう~もう~~~
映画の様に虚と実がミックスされて
夢のような時間を過ごしたことはいうまでもありません!
映画館のごく近くには、林監督プロデュースの<Bar 探偵>が開店し
連日マイクファンの集いの場となりました。
監督は毎日、出演者もみなさん、マイクも茜ちゃんもご来店して・・・
ファンと語り、握手に写真撮影、サインと大忙しながらも楽しんでいらしたと・・・
思いた~い^^
日頃もBarです。
ここに<Bar 探偵>が開店し、マイクが着た衣装や小道具が展示された。
オープニングの日とラストの日は ワタシも行きました^^
大嶺美香さん、茜ちゃんと記念に撮っていただきました!ウレシイ☆
(ご一緒しているのは、オフィシャルロケ地ツアーにも参加してくれ、会期中何度もお会いした二宮クン)
あっ!ジャック&ベティの支配人・梶原さんが後ろに~
夢のような5日間。。。
映画祭のスタッフのみなさま、長い期間の準備から本当にお疲れさまでした☆
時間をやりくりして駆けつけてくださった出演者のみなさまや制作の方々、
そして沢山のマイクファンのみなさん。。。本当に熱い時間でしたね。
それぞれの大切な思いがそこここに感じられました。。。
初めての映画上映のころ、アルコール飲料のCMで 永瀬さんが云ってましたネ。
「愛だろ、愛・・・」って・・・
ほんとうに、
愛にあふれた 横浜・黄金町界隈、横浜みなと映画祭でしたね☆
個人的に行った3回目(第二弾となってるけど)のツアー
ロケ地ツアー*楽しくまったり回りました♪
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