書き込み数は10件です。 | ◀▶ |
明治23年10月(1890年)横浜共同電燈會社が、この地に火力発電所を建設し、神奈川県で初めての電力供給を開始いたしました。 当時の発電所は出力100キロワットの石炭火力で、お客様は約700軒でした。 メタ坊 |
制作者 本郷 新 横浜沿革史に『明治二年六月馬車道通常盤町五丁目ニ於テ町田房造ナルモノ氷水店ヲ開業ス……』と誌されています 日本のアイスクリームの誕生です 私達はこれを記念し このゆかりの地にモニュメントを建て寄贈いたします 昭和五十一年十一月三日 社団法人 日本アイスクリーム協会 同神奈川支部 |
関内ホールの外壁に残された一枚の扉。 これは旧中区役所庁舎の正面玄関についていたもの。この横に由来板があり、こんなことが書いてある。 この扉は、この地に昭和59年まで建っていた旧中区役所庁舎の正面玄関に使用されていたものです。 旧中区役所庁舎は、もと横浜興信銀行(横浜銀行の前身)の本店として建てられ、昭和13年(1938)竣工しました。鉄筋コンクリート造り、地上3階建て一部地下1階、コリント式の列柱をもつ西洋古典主義建築の佳品で昭和初期的銀行建築のひとつでした。 馬車道側の旧市民ホール(もと横浜宝塚劇場 昭和10 … [続きを読む] |
安政6年(1859年)に開港場となって以来、横浜は西洋文化の玄関口となりました。馬車道を起点にして全国に拡がったものも数多くあります。 ガス灯は、明治5年(1872年)に、高島嘉右衛門の「日本ガス社中」により、馬車道・本町通り等に設置、点灯され、これが日本における最初のガス灯となりました。柱部は英国グラスゴー市から輸入し、灯具は日本人職人により製造されたと言われます。 このたび、横浜市市民文化会館〔関内ホール〕新築完成を祝って、当時の型をモデルとしたガス灯を復元設置しました。 壁面レリーフは、横浜開港資料館所 … [続きを読む] |
北歐の 船腹垂るる 冬鴎 秋元不死男 秋元不死男について→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E5%85%83%E4%…B%E7%94%B7 posted by メタ坊 |
昭和40年代半ばまで、桜木町から石川町まで根岸線に沿って「派大岡川」が流れていた。市役所と横浜スタジアムの間を走る「みなと大通り」が派大岡川を渡る際に通るのが港橋で、トラスの美しい鉄橋だった。 ▲橋の向こう左側の建物は市役所。関外側から港方面を望む。上空を横切るのは根岸線。 昭和48年(1973年)、高速道路建設のため橋は撤去されたが、その時、この鉄材は新潟県の三島町と与板町に1トン24万円で売られていき、特産の包丁に変身してしまった。 いま、トラスは無くなってしまったが、歩道橋として … [続きを読む] |
気がつかなかった…… 新しい発祥の地記念碑が建てられていたのだった。 場所は中区弁天通3丁目48番。 ▲弁天通の由来 蕎麦の「中屋」前。 植栽の無くなった歩車道間に建っている。 近づいて碑文を読んでみる。 横浜郵便発祥の地 日本の近代郵便制度は明治4年(1871年)に制定された。 明治政府は同年5月、ここ関内・弁天通3丁目41番地(当時)に設置した仮役所を、7月15日正式に横浜郵便役所とし、横浜に於ける初の郵便業務を開始した。 この地では、横浜開港の安政6年(1859年)6月 … [続きを読む] |
中区常盤町5丁目、「勝烈庵本店」横の四つ角に、妙な石柱が建っています。 「六道の辻通り」と書いてありますが、おそらくこのあたりを六道の辻といったのでしょう。 しかし、どこを見回しても六道らしきものは見当たりません。碁盤の目状に整備されたこの町の交差点は、どこも十字型で四叉路ばかりです。 六道というのは、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道をいいます。それならば、この四つ角には目に見えないあと2本の道があり、餓鬼道、地獄道へつながっているのでしょうか? 石柱が建てられたのは数年前。「六道の辻」とい … [続きを読む] |
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