【ハマっち!防災情報】災害関連情報共有コミュの「3.11 地震当日のまちの記録・家族の記録」
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3.11 地震当日のまちの記録・家族の記録
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2011年03月14日 10:51
地域間連携も目的としているこのコミュニティですが、横浜に住んでいるみなさんの、2011年3月11日の地震体験をこちらに集約したいと思います。

連絡がとれず困ったこと…
家族や職場と連絡するために取った方法は…
帰宅の方法や駅の風景、交通手段の確保…
停電時の気持ちや困ったこと…
見かけた街の風景、そこで感じたこと…
非常時だから感じた人の温かさ…
準備しておくべきことやアドバイス…

いろいろあると思います。
遠くの方々への支援の気持ちとともに、自分たちの足元を見つめるためにもぜひ一言お願いします!

書き込み数は27件です。 [ 1 2 ]
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Re: 3.11 地震当日のまちの記録・家族の記録
【返信元】 3.11 地震当日のまちの記録・家族の記録
2011年03月14日 16:20
3/11 横浜駅西口高島屋前に居たものです。

■見かけた街の風景、そこで感じたこと…
状況:
*14:46頃
横浜高島屋内のエスカレーターを降りる寸前で、ぐらっと揺れが起こり、騒然となって近くの人は商業施設から離れ、ターミナル前に集まりました。同行者と手をつなぎ、駆けおりました。

*14:50過ぎ
戸部警察署から
 *震源地について
 *交通網のストップについて
 *駅に行っても仕方がない
 *余震もあるから落ちついて行動して
とすぐアナウンスがあり、しばらく周囲の人も動かないでいました。

余震が10分ほど収まった頃、同行の母とダイエー側へ向かいました。(用件先にキャンセルを伝える、避難場所に行くため)
デパート前の橋は水道管が破裂、VIVRE内にいた人が橋の上にあふれていました。
天井の落ちたボーリング場「ハマボウル」は当時、外からは特に何も異常なさそうでした。
ダイエー横の道がタイルが盛り上がり、階段が剥落。
用のあったビルも1Fと地面の間に穴が開いていました。

一番怖かったのは避難最中の繁華街、ガラス張りの学習塾ビルを越える時。ダイエー、河合塾、早稲田塾の面した通りはぐらぐらと揺れ、周囲の人は車道の真ん中を固まって歩きました。ビル足元に近い方が安全なのか、ビル上階が崩れてくるのか、どちらか判断つきかねました。

■一時避難所
岡野公園。
場所はこちら、スポーツクラブルネサンスの前です。
http://2810.s-re.jp/map/index.html

ダイエー近辺の学習塾生徒、商業施設の人はここへいきます。引率され皆ここへ来ていましたので、付いていきました。

ただしこれは私見ですが、フェンスに囲われており、
出入り口が少ない公園です。強い揺れでフェンスを支える支柱が落ちてくるなどでパニックに陥った人が出入り口に集中して事故が起こる気がしたので、側道にいました。今後利用する方は状況をみてください。

■連絡がとれず困ったこと…
 電話が通じないので用件先にキャンセルも何も伝えられない

■家族や職場と連絡するために取った方法は…
 まずは電話。でも通じたのは2時間後。
 SMS(iphone)、しかし5時間かかって家族からの
 返信を受け取れた。

■帰宅の方法や駅の風景、交通手段の確保…
 横浜駅から離れ「タクシーの通るかもしれない」大通りまで出るためにJR保土ヶ谷駅へ、来ないと分かりつつ2時間程度タクシーを待ったが1台もこないので皆歩き始める。
JRは運休、ホームは空。
バス乗り場は各行き先ごとに50m-100mの列。

家族と電話が繋がり、港南区へ車で帰宅。道路混雑のため食事などを取り、1時間半かけて22時頃帰宅。

■停電時の気持ちや困ったこと…
*ロウソク
どこに置いたか把握できる本数で。不慣れで細いロウソクは危ないと思った。立てるための台が要るので、いらない小さな皿もセットで必要。ジャムびんの蓋が役に立った。
階の移動、トイレに持ち込むなど動かすと危険なので懐中電灯と併用と実感。
 
■準備しておくべきことやアドバイス…
*電話番号メモ
みなさん家族の電話番号を暗記されていますか。
勤め先、家族の携帯電話番号などをメモした名刺程度の紙を財布や定期入れに入れておくといいと思います。
(厚い紙がいいと思います)
緊急時に電話番号を覚えていない場合、携帯の電源が切れそうな場合に役立ちます。
Re: 3.11 地震当日のまちの記録・家族の記録
【返信元】 3.11 地震当日のまちの記録・家族の記録
2011年03月14日 15:02
私は、東京側からの様子を記載します。
青葉区、緑区あたりから東京都心に通勤している方に少しでも役に立てれば、と思います。
なるべく克明に記載するため、冗長な部分があろうかと思いますが、お許しください。

14:48、渋谷区千駄ヶ谷の事務所で被災
大きい横揺れが感覚的に3分か4分くらい続いた気がします。
(阪神大震災では、1分以内の縦揺れ(寝ていたので突き上げられる感覚)でしたが、それとは全く異質の揺れだな、と、比較的落ち着いて考えていました)
事務所内の被害は、軽い書類が散乱する程度で、大きな被害はなし。
但し、電気・通信インフラは機能していたため、至急家族にメール、SMS、ツイートなど考えられるあらゆる手段で「私は大丈夫です」との旨を発信。

15:00過ぎ、事務所から退避
妻と連絡が取れ、妻は中央区日本橋近辺にいることが判明。
次に、子どもたちを預けている保育園の状況把握と、どちらが迎えに行くかについて相談。
結果、私のほうが近い場所にいるので、かつ地下鉄がストップもストップしているとのことから、必要最小限の引き継ぎを行い、自宅へ向かう。
事務所近くには大きな公園等があり、近くの人たちが多く公園に避難に来ていた。
皆比較的落ち着いた様子。

15:15頃、地下鉄外苑前駅に到着。
改札まで来たが、銀座線のみならず地下鉄全線がストップしていることがそこで判明。
その時点では、地下鉄以外の運行状況がわからなかったが、とりあえず改札内で待ってみることに。
改札前では、老若男女問わず、地下鉄の再開を待つ人たちでいっぱい。
ケータイが使える人は、メール等をしきりに操作している。
その時点で、公衆電話(改札脇に2台程度あった)に行列をなしていた。
私は、iPhoneからメール、ツイッター、facebook、SMSなど、使える手段全てで情報を受発信を試みるが、
肝心の保育園の様子が全く分からない。
(※後で聞くところによると、保育園には一斉メール配信サービスのようなものがなく、電話も一般回線から保育園につなぐとこが出来ないため、どのお母さんも外から保育園につながらない状態だったそうですが、兄のほうは普段からクラスのお母さん方の交流が積極的なので、保育園近くにいて地震直後に保育園に駆け付けたお母さんのメールが一番の情報源だったようです。一方で弟のクラスのほうはまだそれほど交流が活発でないので、情報が入らなかったようです)

実家の母から安否確認メールが届いたので、早速「4名とも大丈夫、今から私が保育園に子供を迎えにいく」旨伝えて、安心してもらう。
一方、妻の父母のほうはメール等をしないので、若干安否確認に手間取った。
結局、私がつぶやき続けたツイートを見ていた義理姉が、義理姉に問い合わせてきた義理母に伝えた、という複雑なルートをたどった様子。

17:00頃、今日の地下鉄のみならず鉄道の再開はなさそうと判断、自宅まで歩くことに変更。
地上の青山通(R246)に出ると、車道は車で、歩道は歩行者で溢れている。
タクシーもそこそこ見受けられたが、客は概ね1名か2名程度しか載っていない。同じ方向に向かう人は相乗りが必要なのでは?と感じた。

17:15頃、寒くなってきたので、開いている立ち食いソバ屋で腹ごしらえ。
まだこの時点では店は普段の延長で開いているところが多かった。早めに食べておいて正解だった。

17:40頃、渋谷駅近辺。
東横線の電車は停まっている。歩道橋は人であふれていたが、皆割り込みなどをせず、順序良く上り下りしていた。これが諸外国だったらどうなんだろう?などと考えながら。
その後、ひたすらR246を西下。
高速道路は通行止め、R246も車であふれていた。
バスは動いていたが、満員の上、渋滞で動かない。
徒歩のほうが早い。
歩行者は、皆西のほうを向いているので、スムーズには歩ける。

18:15頃
途中、三宿あたりにあったバーのお姉さんが、道行く人に「暖かいスープを配ってます!ぜひ飲んで温まって下さい!」と声を張り上げていた。
丁度日が暮れて寒くなってきたところで、非常にありがたかった。
歩行者は徐々に少なくなってきてはいたものの、車道はなお動いていない。
田園都市線の各駅は、規制線をはっていて入れないようにしていた。
その後、ひたすら歩いた。保育園の通常の退園時間(19:15)との戦い。間に合いそうになかったので、途中から走った。
周囲の男性は、青葉区、緑区あたりの方々が多い。皆、「あと3時間で着くだろうか?」みたいな会話をしていた。

19:11、予定より早く、保育園に到着。
子どもたちは先生とともに、防災頭巾をかぶって待っていた。
家族を持つ保育士の皆さんはそれぞれの自宅に帰宅したようで、待っていたのは園長先生と、自宅に帰らなかった保育士の皆さんだった。
まだざっと20人以上の園児がいた気がする。
念のため19:15で閉まることを考えて、急いで帰ってきたが、全ての園児の親に引き渡すまで保育園は開け続けるとのこと。
非常にありがたい話ではあるが、それをもう少し早く知っていれば、私の対応も違っただろうに・・・と思う。
(※結局、保育園から全ての保育園児が親に引き渡されるまで、翌朝までかかったようでした)

19:35 自宅に到着。
金曜日で荷物も多かったので、一度自宅に荷物を置いて、夕食を買いに出かけたが、スーパー、食堂、店は早期閉店したところが目立ちだしていて、開いているところも夕食を求める人たちで列をなしていた。

23:00頃? 妻も帰宅。
妻も日本橋から歩いてきた。ヒールをはいていたので、途中で靴屋に入ってスニーカーを買ったらしい。

こんなところです。
気づき点等については改めて記載したいと思います。
Re[2]: 3.11 地震当日のまちの記録・家族の記録
【返信元】 Re: 3.11 地震当日のまちの記録・家族の記録
2011年03月14日 14:10
高見さん

ありがとうございます。
会社に泊まったとのこと、大変でしたね。

メールは確かに強靱でしたね。充電さえできればなんとか連絡手段にはなりそうです。
公的機関(学校など)でももっと、メール連絡網を上手に使って欲しいな、と個人的にも思いました。
Re: 3.11 地震当日のまちの記録・家族の記録
【返信元】 3.11 地震当日のまちの記録・家族の記録
2011年03月14日 13:43
高見知英です。
こちらは横須賀の職場でした。京急が全線停止したため11日は会社に泊まりました。
停電はありましたがまだまだ震度5弱程度、町並みは全く変わらず、建物にもヒビは入っていなかったため安心はしていました。

電話についてもほとんど不通になってはいました(ソフトバンクとWILLCOMは圏外、au, docomoは使用出来るがほぼ不通)が、auのパケット通信は全く問題なく、ezwebメールもGMailなども通常通り使用可能でした(ただし、ezwebメールの自動受信は一時的に無効化されていたため、手動で受信する必要がありました)。
家にパケット通信で連絡出来る手段がメールしかなかったのが残念ですが、連絡は取れたのでそれほど不安はありませんでした。

また、週が明けて今日、近所のイトーヨーカドーに行ってきましたが、パンや電池以外はかなり残っていたという感想です。特に薬、家庭用品(シャンプー、寝具など)、お菓子、冷凍食品などはかなり残っていました。レジは大混雑でしたが思ったよりも平和だなという感覚でした。

未だに減っていないのは、Twitterでも流れているチェーンメール・デマなどの情報の氾濫です。これについては11日から今まで続いています。


感想はこの辺にしてアドバイスなど
・通話は全くアテに出来ない。ただしメールなどは出来るので、連絡はメールで。もしiPhoneやAndroid搭載機などのスマートフォンをお使いであればSkype(au Skypeではない)での通話は可能です(Skypeは電力を大量に使うので、メールとうまく組み合わせてください)。
・お店は意外と平常営業している(ただし短縮営業はあり得ます)ので、買い物については焦らない方が良いかと思います。
・メールやTwitterの「拡散希望」、「RTお願いします」等のたぐいのものにはよほど信頼出来る情報以外は回覧しない。

以上です。
3.11 地震当日のまちの記録・家族の記録
【返信元】 3.11 地震当日のまちの記録・家族の記録
2011年03月14日 12:37
わたし自身が感じたことは
以下のブログにあります。

http://sns.hamatch.jp/blog/blog.php?key=36346

ただ、上記はかなり抽象的なことですので、もっとリアルなことをば。


地震発生時は、中区太田町の横浜メディアビジネスセンター4F・tvkでミーティング中でした。
同社の社内でも、「でっかいぞ、地震」「長い!」などの大声が響きわたっていました。

その時点ですでに、学校や自宅の電話は通じない状態。
留守番をして、自宅で祖父と会う予定の子どもが一番の心配ですが、まったくどうしたらいいかわかりません。

学校になんとか連絡すると、地震発生前に1人で普段通り下校したとのこと。マンションのどこかにいるようです。

電話がなにしろまったく通じないので、どうにも確認できません。


ようやくメールで子どもの無事と所在が確認できたのが約3時間後でした。

マンションエントランスで大揺れが来て、自宅玄関まで泣きながらいったところ、停電で電気錠が開かなくなってパニックになったようで、号泣しているところを近所の中学生のお兄さんが声をかけてくれたようでした。

マンションの集会所に、オートロックが効かずに閉め出された人たちが集まっていたそうです。

それからわたくしは、帰る手段もないまま事務所に23時ぐらいまでいました。
車で弟が迎えにきてくれましたが、戸塚から関内まで4時間近くかかる渋滞だったそうです。

日付が変わる頃に、ようやく子どもの顔が見られて安心しました。
家族や近隣とのつながりなど「物理的に近く、信頼できるつながり」がないと、災害発生時はつらいのだなあと感じました。
Re[2]: 3.11 地震当日のまちの記録・家族の記録
【返信元】 Re: 3.11 地震当日のまちの記録・家族の記録
2011年03月14日 11:39
かおりんさん、さっそくありがとうございます。

これから、ハマっち!メールニュースを出して、ほかのユーザーのみなさんにも呼びかけます。

わたしも書きたいと思います。
ありがとうございました。
Re: 3.11 地震当日のまちの記録・家族の記録
【返信元】 3.11 地震当日のまちの記録・家族の記録
2011年03月14日 11:35
災害地から遠く離れたいた横浜での体験なのに。
その時点では、身近で大きな地震が起きているのかと思うくらいの、恐ろしい揺れでした。

そんな体験を日記に書きました。
http://sns.hamatch.jp/blog/blog.php?key=36373

その場でいっしょに居た人とのつながりが大切。
その場を共有した人と助け合おう。
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