日本初の洋式庭園「山手公園」に近い「妙香寺」の境内に、「国歌君ヶ代発祥之地」の碑があります。 (写真は左が妙香寺山門、右が「君が代」の碑です) 「君が代」の詞は、平安時代に詠まれた和歌(「和漢朗詠集」にある)を基にしたものだそうです。 「妙香寺」と「君が代」の関係は、 明治元年(1868年)10月に、遷都のため京都から東京に向かった天皇ご一行が、神奈川に到着した時に、沿道で出迎えた英仏軍楽隊が一斉に歓迎の楽曲を演奏しました。警護に当たっていて、これを聞いた薩摩藩士が大変感激し、自分の藩でも軍楽隊を創設しようということになったそうです。 薩摩藩は早速若手藩士30名を横浜に派遣、英国軍楽隊長フェントンJohn William Fenton の指導を受けました。このとき宿舎としたのが「妙香寺」だったのです。 明治2年(1869年)に、のちに陸軍元帥となった薩摩藩士大山巌が、フェントンから、「日本も国歌を持ってはどうか」との進言を受け、自分が青年時代から口ずさんでいたという「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」に、フェントンが曲をつけ、閲兵式の時に薩摩の軍楽隊が演奏しました。 その初代「君が代」は、このような曲だったようです。→http://www.ne.jp/asahi/jurassic/page/sound/kimigayo…fenton.htm このフェントンの曲はあまりに洋風すぎたため、明治13年(1880年)に、宮内省の楽士 奥好義 が旋律をつけ、それを雅楽奏者の 林廣守 が曲に起こし、それにドイツ人音楽家フランツ・エッケルトが西洋風和声を付け加えて、現在の「君が代」になったそうです。 明治21年(1888年)政府はこれを各国に通告、明治26年(1893年)に正式に国歌に制定されました。 (この妙香寺でフェントンの指導を受けた薩摩の軍楽隊が、日本の吹奏楽の始まりで、同寺には「日本吹奏楽発祥の地」の碑もあります。) |