スーさん
書評、感謝です。「問題」なんて、あろうはずがありません。とても嬉しく思います。
ただ一点だけ。たしかにわたしは共同通信記者ですが、この本は記者として書いたのではなく、社会人大学院生として書きました。その点を付け加えていただければ、なぜわたしがこれを書き得たのかが分かってもらえるのではないかと思いましたが、字数の制限もあるでしょうから、無理にとは申しません。
いずれにしても、紙面に載るのが楽しみです。
ありがとうございました。<(_ _)>
昨日、仙台から帰ってきて、 今日の締め切りに間に合わせた書評の原稿です。 今月の日本ジャーナリスト会議(JCJ)の機関紙「ジャーナリスト」(25日発行)の書評欄に書きました。 昨年、hopeさんの紹介でハタさんの本を知り、読ませていただきました。ハタさんに個メールしようかとも思ったのですが、こちらに書きました。ご意見ありましたら、お願いします。 <以下、原稿> 11字×58行 ▼書評 ▽「新聞再生 コミュニティからの挑戦」畑中哲雄著(平凡社新書) ◎誰が新聞をつくっているのか 誰もが情報発信をする「市民メディアの時代」に、「新聞」がどのような役割を果たし、誰のためにあるのかを、新聞記者(共同通信)である著者が自問、「再生」への展望を分かりやすく示している。 著者はまず、本来の「新聞」と業界としての「新聞社」を区別し、近年の新聞危機説が業界危機説でしかないことに疑問を投げかける。『ネットは新聞を殺すのか』『新聞がなくなる日』『新聞の時代錯誤』といった悲観論で話題を集める新聞論が、大手新聞社の経営の中核にいる人々から出てくる現状。他人事のように評論するマスコミのメーンストリームにいる「業界人」の対局で、現場で格闘するジャーナリストたちの取り組みに着目、そこに「再生」の活路を見いだしている。 著者が共感して取り上げたのが、廃刊した県紙「旧鹿児島新報社OBたちの闘い」、ブログというインターネットメディアに取り組んだ「神奈川新聞社カナロコ編集部」、滋賀県民の新聞を創刊した「『みんなの滋賀新聞』の挑戦と挫折」。三つの事例を通じて、新聞が「公共圏」としての社会空間づくりであると説明する。「ふつうの市民」と連携した米国のパブリックジャーナリズムと比較、「他者に開かれた社会空間としての〈新聞〉は新聞社の所有物ではなく、デモクラシーの苗床なのだ」と強調する。 著者が事例を「周縁のジャーナリスト」と遠慮気味に述べているのが少し気になるが、当事者意識を持って「市民メディア」と一体になり「社会空間」を広げる作業が新聞再生だと確信できる。 <以上です> ハタさん、問題があれば、率直にご意見ください。 よろしくお願いします。 |