プラス、でいきたいですよね。
私はベイエリアの大きな会場、大桟橋と開港でミニヨコ(こどものまちEXPO)ができたし。ヒルサイドにもこどもたちを出してもらいました。
また、ナポリタンのウエイブのきっかけもY150から生まれました。
普通なら知り合えなかった多くの人とY150ということで知り合うことができました。
これからはじまるいろんなことにワクワクしています。
開国博Y150が終了して1カ月半。 先週末(11/7)、象の鼻テラスで、私が関わっていたベイサイド市民協催のサロンを開催しました。60名ほどが集まり、お互いがやっていることを話したり、連絡先を交換したり。ヒルサイド市民創発ほど知られてはいませんが、ベイサイド市民協催には、赤レンガ倉庫と大さん橋ホールを会場に、140団体の企画に約1万人が出演者やスタッフとして参加しました。「みんなで創る 開港150周年」ということで、他の団体のサポートをしたり、同じ日程の人が一緒にできる企画を用意したり、ベイサイド市民協催から飛び出して、一緒にイベントをやることになったり。。。ベイサイド市民協催に参加したから、いろいろ考えるようになった、という方も何人もいました。来場者だって約12万人。報告書を作ってみて、本当にすごいなあ、と改めて感じました。 レポートはこちら http://bay.yokohama150.jp/report/ Y150の市民参加って、このほかにもヒルサイド市民創発、ヨコハマFUNEプロジェクト、会場運営ボランティア、DO-RA-MA150とか、いろいろありました。このハマっち!だってその一つ。 メディアでは、Y150は失敗なんて言われたり、事実を捻じ曲げたひどいテレビ番組があったりしていますが、何を見てるのか、何も見てないのか、きわめて残念に思います。 私は、はじまりの森で、ラ・マシンに目を輝かせた子があふれていたのを何度も何度も見ました。 JICAのレストランからアースバルーンの裏側を見て「H0ME」は見れず、悔しがってた人が、全体が地球になって大喜びしていたのを見ました。 夜の黒船レストランで大宴会が行われていたのも何度も見ました。 つながりの森で、のんびり1日中こどもたちと過ごす親子の姿もたくさんみました。 暑い中、本当に一生懸命、会場の案内や清掃をしているボランティアのスタッフの姿も日常の光景となっていました。 会期が終了した後、本当に閑散としてしまった赤レンガ倉庫周辺も見ました。そういえば、以前はこれが日常の風景だった。 会期中、神戸から何度も足を運び、終了後にも、わざわざたねまるグッズを買いに来て4万円も買っちゃった、という人もいました。 開国博Y150のチケットを1人で1500枚も売った人もみました。 フィナーレの日、ベイサイドとヒルサイドの両方のフィナーレに参加した人も何人か知っています。 このハマっち!だって、Y150をめざして立上げられ、この中でもいろんなことが起こり、いろんなことが終わり、そして、この後もハマっち!を継続していくことが決まりました。 とにかく「開国博Y150」をきっかけに、小さな小さな物語が数えきれないほど生まれたことは確かです。メディアには登場することはないだろうし、すべての物語を知ることはできないけど。 「わたしは、わたしにできることをしているだけ」という、エクアドルの伝説に残るハチドリのクリキンディの話は知ってますか? 小さな物語って、こういうことかなあ。 世界や社会は変えられないが、自分を変えることはできる。 きっと、そういうことが、あちこちで起こっています。 この開国博Y150をきっかけに、それは起きています。 たぶん、私もその一人だと思う。 それを価値として見ないで、どうするのだろう。 そりゃあ、いろいろ駄目なこともいっぱいあると思うけど。 横浜市の職員の人も、開港150周年協会の人も、市長さんも、やめちゃった前の市長さんも、副市長さんも、市議会の議員の人も、もちろん367万人の市民も、目には見えにくいし、説明はしにくいけど、このすごい価値を自慢に思ってほしいです。 まずは、そこからスタートしたい。 |