最近、函館のチャブ屋に関する調査を始めました。 横浜のチャブ屋についてはかなり調べてしまったので、余所の開港都市に触手を伸ばした形です。 残り四都市あるうちで、なぜ函館なのか。 ざっと調べた限りでの話ですが、横浜を別にすれば、函館に一番資料が残っているからです。 意外だったのですが、神戸は資料皆無。 それが震災の影響なのか、もともと資料がないのか、あるいは神戸ッ子の気風としてタブー視しているのか、細かい事情は分かりません。 横浜では「チャブ屋」と呼ばれている外国人専門のあいまい宿ですが、函館ではその名も「スケベハウス」と呼ばれていたとのこと! まぁ、これは明治・大正期の話で、昭和に入ると彼の地でも「チャブ屋」という呼称が一般的になるようですが、その経緯も不明です。 ほかに「函館山が間近にあるため平地が狭い」という地形的な問題から、旧来の湊と市街地に住宅や社寺、店舗、商業地区、歓楽街、はては外国人の屋敷等まで、様々なものが「ごっちゃ」に存在していたという点もユニークです。 (この点は神戸も一緒かもしれない) 今後の調査が楽しみです。 |