7~8年前に、ヨコスカの外人バーを調べたことがあるんですが、本当に資料ないですね~
「よこすかどぶ板物語」(1991)という本があるくらいで。バー・テネシーのマスターの聞き書きですが、そのテネシーも数年前に閉店。名物バー
はどんどんなくなってます。
昔話をたくさん聞かせてくれた、コットンクラブのママさんも引退しちゃったし。
横浜の外人バーも行ってみたいなあ。
最近横浜の外人バーについて調べている。 1945年から80年代中盤まで40年以上の長きにわたって存在していたにもかかわらず、週刊誌にも地元のタウン誌にも取り上げられたことが一度としてなかったという、ハマのブラックホールだ。 (横須賀のGIバーは一度だけ取り上げられている) 下調べをしていたら、神戸の外人バーの老舗「チャーリー・ブラウン」の記事を見つけたのでご紹介。 『チャーリーブラウンの鐘』 宍戸哲也[ムーンライト]店主・筆 ↓ ↓ ↓ http://d.hatena.ne.jp/team140b/20070409 (後半部までスクロールすると出てきます) 横浜は国際的。 そんな風に言われることが多い。 しかし外人バーについて書かれた書物や雑誌の記事は皆無。 2000年代に入ってから、ようやく断片的な記事が出てくるようになったが、その全体像はいまだに大きな謎である。 一口に「外人」といってもフツーの市民ではなく、若い兵隊や長い航海を終えたばかりの船員たちを指しているわけで、「お近づきになりたくなかった」という心理はよく分かる。 しかし資料ゼロというのはいかがなものか。 「根岸屋」を伝説の店に仕立て上げてる場合じゃないだろ。 「国際都市」の名が泣く話だ。 |