先日のお通夜で、導師としていらしていた真言宗のお坊さんが、参列者の焼香の後に、葬式での慣習が変わってきていて、憂慮すべきというような説教をしていました。 例えば、 葬儀の場に冷房が入っているが、切って欲しい。 その場では快適でいいかもしれないが、あとで亡くなった方を想い出すことがなくなる。自分の先代の住職が亡くなったときはとても寒い日だった。今でも、会葬してくれた人が、あのときは寒かったですねと言ってくれる。 施主や遺族は身内が亡くなり、悲しんでいて何もできないから、地域の組うちの人が仕切って、会葬してくれた人への挨拶もした。しかし今は、施主や遺族が並ばされて、参列者に挨拶をする。 昔は祭壇に菊の花を一輪だけ飾れば、今のようにたくさんの菊の花を飾る必要はなかった。菊の花をたくさん用意できない人でも、一輪あればよかった。 火葬場への行き帰りで、違う道を通るが、その必要はない。 昔、土葬をしていたころ、お墓に埋葬した後に、死者が参列者と一緒に家に戻って来ないように、という理由で、行き帰りで違う道を通っていた。 火葬場から死者の魂が家まで帰ってくれないと困る。 昔は1年間、遺族は何もせず、喪に服して死者のことを考えていた。ところが、今は白木の位牌もすぐに塗りの位牌に変えてしまう。 通夜振るまいでも、最近は肉や魚が出され、精進料理は出されない。 などなど。 なるほど、というのもあり、僧は言っても(苦笑)仕方ないというのもあり、ですね。 |