以下、余所に書いたブログ( http://am6.jp/c4RdgU )からの転載です。 「黄金町バザール」が出来て三年くらいになると思います。 (Kogane-Xなど一連の流れも含めるともう少しになるかもしれません) 「バザール」について、自分なりに考察した結果を書いてみます。 あくまでも個人の意見ですので、ご批判、怒りの反論、炎上を招く暴言などご自由にどうぞ。 もちろん、賛成意見も歓迎します。 ちょっと長いです。 ーーーーーーーーーーー 警察庁による2005年のちょんの間一掃作戦(通称「バイバイ作戦」)。 この一連の掃討作戦により、多国籍娼婦群は一掃された。 その後<地域とアートの共存を通して街を再生する試み>として始まった黄金町バザール。 ↓ http://www.koganecho.net/koganecho_bazaar_2009/info…nfo01.html このムーブメントに関して評価は様々かもしれない。 近隣に住む者として、軽いジャブを打ってみたい。 以前より漠然と感じていた不満。 それを文字にすると、以下の一言に尽きると思う。 ↓ ↓ ↓ 「黄金町バザール」とは、アートに理解のある人間・関心のある人間だけを導き入れ、それ以外をやんわりと排除する運動なのではないか。 その目的は、売春業者や暴力団組織などを排除することにあると思う。 しかし必要以上に排他的なのではないだろうか。 そこにあるのは「プレイヤー・ファースト」の姿勢だ。 住人をおもんばかる配慮ではない。 (権力側も一枚岩ではなく様々な派閥やレイヤーからなっているので、住民不在にならないように行動している一派もある) 一応住人参加という形でさまざまな場に住人の代表が複数参加しているが、かれらは街づくりのサポーターにすぎない(住人主体ではない)。もっと言ってしまえば、サポーターであるのかどうかも疑わしく思えることさえある。参加住人の多くは老人で、ここ数年の間に建設されたマンションの新住人の参加は皆無である。 古参住人に話を聞くと、はじめは皆「ちょんの間は負の遺産。早く忘れたいから全部壊してくれ」と考えていたらしい。 前市長である中田宏氏も、警察に要請して黄金町高架周辺を壊滅させたものの、その後の再生に関しては青写真を持っていなかったようだ(中田氏が市長だった時代に、直接質問した知人による証言)。 横浜市大の鈴木ゼミの出したマスタープランでも、現在「マイノリティーズコーヒー」や「JOINT」などが営業している一角は更地にして、ポケットパークか広場にするつもりだったという(鈴木氏自身にインタビューしたところ、「そのような事実はない」とのことだった。しかし事の真偽はともかく、そういう情報が流れていたこと自体はまちがいない)。 しかしあの一角は、整地されるより先に若者たちの飲食店エリアになってしまったため、当初の計画通り更地にならなかったのだという。バザール関係者があの並びを徹底して無視しているのは、自分たちのコントロールの及ばないエリアに関する不快感の表れらしい。 つまり「アートによる街の再生」というコンセプトは、あとづけなのだ。 ちょんの間街を一掃したものの、行政側にはその後の計画は何もなく、住民側は「更地にして痕跡を抹消してくれ」と願っていた。 何組かの若者たちがときを同じくして集まり、空き店舗の活用を始めた。 そこから流れが変わりだした。 状況を静観していた行政が大きく舵を切ったのは、その後である。 聞いた話によると、それには湾岸エリアで三度行われた「横浜トリエンナーレ」からスピンアウトしたグループ(第二回の中心メンバーたち)が黄金町に流れ込んだことが大きく関係しているらしい。 この話に関してはそれほど詳しくないので、事実誤認を含めてコメントを頂きたい。 「黄金町バザール」とは別に、大岡川を挟んだ対岸地区での「若葉町多文化映画祭」「横浜下町パラダイス」などという取り組みがある。これは「黄金町バザール」から排除された「アート」でない人たちで、さらには「日本人でさえないジモト住人」を大々的にフィーチャーしている、という意味で画期的だ。 しかしそのイベントの枠がアートである以上、ターゲットは「黄金町バザールの拡張版」にとどまるだろう。 そういう意味で、「あの一角」の背負う役割は大きい。 大岡川沿いに並ぶバーやカフェは、「アートの人」という括りからこぼれた人たちをすくい取るシェルターだ。黄金町が好きで足を運んでいるが、「アート」から排除された人たちに居場所を与えるオアシス。 一般人が親近感を覚えるのは、ここだ。 すっかり空虚になってしまった黄金町に血を通わせるのはバザールではなく、小さな店舗群のマスターたちである。 ーーーーー 「ハマっち」は現在チェックしていませんので、返信コメントはしません。 上記ブログにて書き込んでください。 ご了承お願いします。 |