サッカー日本A代表チーム監督イビチャ・オシムの「日本人よ!」(新潮社)を読みました。 「サッカーとは、人生である。」で始まるこの本は、彼の「日本人論」と言うより、彼の「サッカー論」(=人生論)を語っている本だ。 サッカーを通して「人生」を見てきた彼は、 「人生とは、常に何か新しいものを発見するために生きるものだ」 「『私たちはまだまだこんなものじゃない。もっとやれるはずだ』。これが何かを信じるという意味だ」 「終わるまではすべてが起こりうる」 などと言う。 この本ではほとんど触れていないが、彼が見てきた祖国「旧ユーゴスラビア」の歴史も、かなり影響しているように思う。 彼は「リスペクト」という言葉を多用するそうだが、それは「尊重する」とか「尊敬する」という意味ではなく、「すべてを客観的に見通す」「客観的な価値を見極める」という意味で、サッカーにとって非常に重要、と言っている。 この本の中で、A代表監督の難しさ、審判への希望、ジャーナリスト(これは日本の)への期待、サッカーの将来など、について語っていて、サッカーに余り詳しくないものにとっても、面白い。 そんな中で、本のタイトルの「日本人」について語っているところをいくつか抜粋すると。 「今の日本人が勤勉であるかどうかは疑問だ。現在、日本人は非常に高い生活水準を保っているが、それは勤勉だった先代が作ってきた生活水準を今の人々が享受しているだけなのではないか」 「日本人は、すべてが整備され自然に解決されていくことに慣れてしまっている。あるいは、何か新たな問題が起きると、国かあるいは他の誰かがそれを解決してくれるものだと思いこんでいるのではないかとすら思う。」 日本の選手は「試合中に選手同士がコンタクトを取り合うことが非常に少ない。プレーが中断しているときにも話し合うことはしないし、プレー中にお互いが声を掛けることもしない。」 「日本人選手には『いつ、どうやって反応するか』が欠けている。なぜなら、長期にわたってほとんど自分の頭で考えることなく、むしろ監督の頭に頼って育ってきたからだ。」 そして、 「日本人は出来合いのものを全て手にして、ここでそれを適用しようとしている。それは国際化なのかもしれないが、それでは日本独自のものを失ってしまう。」 「自分に『誇り』を持とうじゃないか。」 「まずは、自分たちの原点に立ち返ろう。」 と呼びかけている。 |