高尾宮岡 ふるさとのみどりの景観地(埼玉県北本市) 北本市西部、荒川にほど近い谷津(里山のあいだが陥没した地形)。2箇所の湧水がある。斜面林で囲まれているためそうとは見えないが、斜面のうえ(周囲)は開発されて田畑や人家が広がっている。 土木かんがい技術が未熟だった時代には貴重な水田地だったが、近代以降周囲の開発が進んだことから耕作が放棄され、自然が回復。シマゲンゴロウなどレッドデーターブックで絶滅危惧種に指定された貴重な動植物などが生育している。 埼玉県では(財)さいたま緑のトラスト協会による地域保全を図っているが、2005年(平成17年)、8番目の指定地選出にあたってこの地域が候補地となり、初めての県民投票が実施されることになった。 北本市では、この地域を次世代に残す重要性について市民に周知するとともに、候補地選定の県民投票への投票行動を呼びかけた。その結果、北本市の人口よりも多い得票を獲得し、県内8番目の自然保全地域に指定されることが決まった。 保全のため埼玉県と北本市が3.5haの用地を買収した。その際、北本市では「北本ふるさと緑の市民債」を発行したところ、発行口数よりも多い応募者があり抽選となった。保全・管理を行うための「高尾宮岡ふるさと緑のトラスト基金」も創設され、市民からの寄付に同額程度市が上乗せして積み立てるマッチングギフトが採用されている。 現地を訪ねてみると、市街地からの入口に当たる氷川神社の鳥居のまえで発掘作業が行われている最中。この地域と人との深い歴史がうかがわれる。そこから急な階段を降りたところにある厳島神社は、湧水地から引き込まれた水に浮かぶように祀られていた。神社は湧水装置とも言われているように、昔の人たちが耕作のために必要な水が湧き出ることを願っていたことを象徴している。 厳島神社の下は深い藪に覆われていたため、景観地へ出るためには、氷川神社わきの道を迂回しなければならなかった。人家や果樹園のあいだを抜けて出た前谷津は、まだ夏の名残で草が生い茂り、そのあいまにセイタカアワダチソウが姿を見せていた。予備知識がなければただの耕作放棄地に見えたかも知れない。「一度人の手が入った里山は人が手を入れつづけなければ維持できない」という言葉が思い出される。 さらに下ってトオカ谷津と合流するあたりから下は平らな湿地でススキが群生していた。かつては水田だったことがあきらかにわかる地形だ。 この水田跡が下流に向かって土手にぶつかり、高台のうえに道路が走っている。土手のうえには野外活動センターがあり、その向こうには荒川の河川敷がひろがっている。 トオカ谷津の山手では田んぼを復元して子どもたちが稲作体験をしたことが立て看板に記されていた。 http://www.city.kitamoto.lg.jp/kurashi/gomi/trust.htm |