来年、リオでまた地球サミットがあります。 日本の中でも、いろいろな機運が立ち起こっています。 でもその前に1992年がどうだったのか、 いまいちど知る必要があると思っていたら、 MLで、原田泰さんから貴重な情報が発信されました。 ご本人の了解をいただきましたので、以下転載します。 *** 地球サミット2012Japanの皆様 原田です。 1月29日の「スタート!地球サミット2012」の第1部で どなたかが1992年のリオサミットでは日本の消費者の 参加がなかった、IT技術が使われなかったと話されて いたのですが、私は少し違う印象を持っています。だい ぶ遅いコメントですが、気になっていたのでここでコメント しておきます。 日本では「国連ブラジル会議市民連絡会」(ブラ連)とい う組織ができたのですが、この中心のひとつは生協運動 でした。 日本では戦後主婦の社会運動が非常に強く、労働者の 家庭で燃料の配給要求や賃上げ闘争、農村部での生活 改善運動など総評、農協婦人部、主婦連などずっと活動 を続けていました。1970年頃から生協を中心に環境問題 に積極的に取り組み、合成洗剤追放、食品添加物問題、 原子力発電反対運動など女性の運動はめざましいもの でした。日本に来たアメリカの環境問題に取り組む研究者 が日本ではどうして女性がこんなに環境問題に積極的な のかと驚いていたことがありました。 IT技術に関してはリオ会議こそ世界の市民が情報を共有 し連携して取り組んだ最初の国際的な会議だったと思いま す。ブラ連でも、UNCEDの最中に国際電話回線を用いてリ オデジャネイロにいる派遣団より実況報告を受ける集会を 東京で開きました。 会議開催の2年以上前から世界のNGOは情報を共有して 解析を行い国連にもまた各国政府にも働きかけを行ってい ました。本会議では1990年に結成されたthe Association for Progressive Communications(APC)がNGO向けの情 報センターを開設して、世界中に情報を発信しました。ブラ 連の事務局もこの情報センターを利用して日本に逐次報告 を送りました。 この経験をもとに、日本では市民運動の中でコンピューター 通信を利用しているユーザや技術者が集まり1993年に JCA(Japan Conputer Access、現在はJCAFE)を作りました。 APCは1970年代(だと思う)からサンフランシスコで活動して いたEcoNet、PeaceNetが母体となって1987年にできたIGC (the Institute for Glocal Communications)が1990年に作 ったものです。 インターネットは1960年代の軍事情報網の実験から始まり 1969年にアメリカの大学間ネットワークとなり次第に国際的に も広がっていきましたが1992年のリオの時はまだ市民が使え る状況ではなく1994年頃から普及し出したと聞いています。 というわけで1992年当時インターネットではありませんでした が、公衆電話回線を利用したコンピュータ通信により国際的 な市民運動の情報網が形成されており、リオ会議でも大きな 役割を果たしました。 すこしウェブで検索してみたのですが、この辺の情報はほと んど見あたりませんでした。伝説を語る語り部になってしまい ました。 2011年2月15日 *** |