映画「FUJITA」 小栗康平監督、オダギリジョー主演、日仏合作 1920年代、第一次大戦後バブルのなかで夜ごとどんちゃん騒ぎを繰り返す藤田嗣治。 どんちゃん騒ぎは彼一流のプロモーションだった。 酒は飲まず、夜の12時には帰宅して、深夜絵筆をとる。 繁華街のショーウインドーには彼そっくりのマネキンさえ飾られていた。 やがて、彼の絵は評価され 居酒屋の亭主にさえ、その作品が知られるようになる。 一方で、パリでの最初の妻(通算二人目、最初の妻は日本人)との不仲。 パリ2番目の妻に言い寄るピカソの影。 1940年代、戦争中で日本の田舎に疎開する藤田には5番目の日本人妻がいた。 その妻に「やぼ」と言われながらも 陸軍拝領のマントを着て出歩く藤田。 陸軍は藤田に「アッツ島玉砕」の絵を描かせ、 そして「バンザイ・クリフ(崖)」の絵を描かせようとしていた。 劇中映像、女性が崖から身投げするシーンは 戦時中米軍が撮影したものではなかったか。 小栗監督は、やがて藤田がじぶんの中にこもってしまうことを暗示しながら 途切れるように、映画は終わる。 藤田が戦後、戦争責任を問われたことは いまさら映像にするまでもない、ということなのだろう。 エンドロールで映し出されるのは 戦後、フランスに移住(亡命)し、洗礼を受けたレオナール・フジタの描いた 宗教画(教会の壁画)。 祈りをささげる人たちの中に、藤田自身の姿も描きこまれている。 戦時中の贖罪なのか。 絵を描くために「踏みつけた」以前の妻たちへの贖罪なのか。 (かつての妻たちが無心にきたという逸話も残されている) パリのシーンの映像は圧倒的に美しい。 日本のシーンは(晩年の黒澤明もそうだったが)あまりに暗い。 日本の夏はもっとぎらぎらしているだろうに。 そして映画も、パリのシーンは輝いていて 日本のシーンは死ぬほどつまらない。 藤田自身の人生もそうだったのか。 「アッツ島玉砕」は自分でも見たことがある。 圧倒的迫力で、「戦争協力画」のレッテルを粉砕する力を持っている。 しかし、戦後を含むパリでの作風と比べると はっきり言って異質。 フランス人に見せても、フジタの作品とはわからないだろう。 小栗監督は、こうした藤田の二面性を描きたかったのかもしれない。 公式HP http://foujita.info/ |