書き込み数は3件です。 | ◀▶ |
前回のブログに書いた『この世をゲームにたとえると』の続きがあったようです。 何日か前ふと冒頭の文が頭に浮かび、その後ずっと頭の中にあり続けました。昨日それについて書こうと思ったら、こんな文章が出来ました…。 ●『愛のエネルギーしか存在しない』 この世界には愛のエネルギーしか存在しない。 あなたがたが感じている不安や恐れ心配といった一見マイナスなエネルギーも、元をただせば全て愛のエネルギーだ。 あなたがたがそのエネルギーを不安や恐れ心配に変換しているにすぎない。 愛のエネルギーしか存在しないのだから本来変換と言うのは語弊があ … [続きを読む] |
庭で戯れる子猫たちを眺めていたらこんなん出ました。 誰っ?て感じですがご了承ください。_(_^_)_ 『この世をゲームにたとえると』 困難がないゲーム、スムーズに誰でも"あがる"ことが出来るゲームを誰がやろうとするだろう? 分離した自我があることによって、一体感を感じる喜びがあり、 恐れや不安があることによって、愛を感じ表現したときの喜びがあり、 固定観念があることによって、気付く喜びがある。 誰もが展開の読めないワクワク感やスリルをゲームに求めるんじゃないかな? 根源的にはそれと同じ理由で、展開の読めない心配と恐れが大多数の人々の人 … [続きを読む] |
※おトモダチのブログにコメントした文章を多少手直しして、アップしています。 『この世を針灸院にたとえると』 この世は針灸院みたいなものなのかもしれません。 人は皆、針灸院でツボを押してもらって健康になりたいと、この世に生まれてくる。 でも大体の人は針灸院の扉を開けた瞬間、自ら望んで針灸院に来たということを忘れてしまう。 針灸院では誰もが患者であり、同時に先生役を演じることになっている。 皆それぞれマイナスな感情が生まれるツボがあって、人付き合いを通してそこを刺激される。 「あいたたたたっ!」 となってツボを押した人を責めるけど … [続きを読む] |
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