人は長い間、幸せになるためには、人から愛される必要があると思い込んでいた。 ただ愛せば幸せになれるのに。 他者から愛されないと幸せを感じることが出来ない人は、愛されることを必要とする。 そして愛されることを必要とするには、自分に愛が不足していると思いこませる必要がある。 つまり自分を愛ではない状態に変えなくてはならない。 そういう人の心は他者の言葉や行為、状態により影響を受け、幸せになったり、不幸せになったり、大きく左右される。 自分が愛であることを感じている人は、他者からの愛を求める必要がない。 そういう人の心は関わる相手のタイプや状態に全く左右されない。 相手がどうあろうと、その人を愛し続けるので常に幸せであることができる。 そう、愛せばあなたは愛となり、幸せを感じる。 他者を評価することなく愛せば、あなたは誰といても常に幸せを感じるだろう。 境遇や出来事を評価することなく愛せば、どんな状況にあろうとも常に幸せを感じるだろう。 実は、他者のあり方も、出来事も境遇も、全てはあなたが愛であることを実感するために用意されたきっかけに過ぎない。 あなたがたはどんな状況の中でも、愛を選ぶことが出来る。 そういう存在なのだ。 あなたがたは、愛されているとか、愛されていないとか感じながら日々の生活を送っている。そしてそれらの判断は固定観念から生じている。 でも実は、愛されていると感じる出来事も、愛されていないと感じる出来事も、良いと感じる出来事も、悪いと感じる出来事も、幸運と感じる出来事も、不運と感じる出来事も、元を正せば全て愛のエネルギーから生じている。 だから、安心してあなたの人生に起こることを受け入れればいい。 起こることを観念で捉えず、ただその中に身をおけばいい。 起こることに身を任せ、成り行きを静かな心で観ていたなら、いつか全ての事が愛であったことに気付くだろう。 だから結論を急がないことだ。 もちろん、あなたが自分自身を愛ではないと感じるときがあるのを知っている。 でも、本当はあなたが愛ではないときはない。 あなたは愛以外のものに成り得ない。 あなたはいついかなる時も愛であり、そうではない時は一瞬たりともない。 もちろん、あなたが愛されていないと感じるときがあるのを知っている。 でも、本当はあなたが愛されていないときはない。 あなたが愛されないことなどあり得ない。 あなたはいついかなる時も愛されていて、そうではない時は一瞬たりともない。 境遇や出来事や他者を評価することなく愛せば、あなたは苦しみから開放される。 愛されることを期待して相手に何かを求めたり、裏切られたと感じがっかりしたり、相手に怒りを感じたり、恨んだり憎んだりする必要もなくなる。 そう、相手がどうあろうと、ただ愛せばいい。 境遇がどうあろうと、どんな出来事が起きようとも、信頼と共にそれを受け入れればいい。 それだけであなたは常に愛と共に在り、幸せを感じることが出来る。 このメッセージを生きたとき、あなたは実感するだろう。 「人から愛されることを求める必要なんてなかったんだ。」 人の行為や出来事・境遇は、あなたの幸せと全く関わりがない。 つまり、どんな状況の中にいようともあなたは幸せであることが出来るのだ。 もしこのメッセージが気になった人がいたなら、一度試してみるといい。 目をつむって、気になる人を愛の光で包むイメージをしてみることを。 対象は誰でも構わない。好きな人でも嫌いな人でもいい。(ポジティヴな感情にしろネガティヴな感情にしろ、強い想いを抱いている相手のほうが、その効果がわかり易いかもしれない。) そして誰かを愛の光で包んだとき、同時にあなたの心があたたかくなるのがわかるはずだ。 そのあたたかさこそが、あなたが愛であることを選択した証であり、愛と共に在るときに感じる感覚だ。 難しく考えることはない。 愛することとは行為でもなく言葉でもなく、ただあなたがたのイメージ、つまり意識の周波数のことなのだ。 だからもう愛するための理由をさがすのはやめるといい。 幸せとは心があたたかくなること、つまりあなたが愛であることを選択したときに感じる感情なのだ。 ただ誰かを愛し、何かを愛し、心の温度がふっと上昇する感覚を感じればいい。 相手に何かを求める必要はない。 愛されないと幸せになれないという幻想を捨て、ただ愛しなさい。 そうすれば、心の中に充満していた冷たく重く息苦しいエネルギーが瞬く間に昇華され、心は軽やかになり、あなたは苦しみから解放されるだろう。 それこそが長い間あなたがさがし求めていた状態なのだ。 そして、これこそが持続的な幸せに至るためのシンプルな道であり真実の道なのだ。 そう。 ただ愛せば幸せになる。 |