たぶん「教育」ということの意味違いだと思う。
私は勉強がいかにおもしろいか?勉強の仕方を教えるのが教育だと思う。でもある規定の世界の中におさめること、という考えだとなあ~~
大人の決めたレールの上からはずれると、それがマイナスになるってこと?
そういう発言がなにげなく流されていくのがいやだな~
昨日、何回も出ているのに毎回なぜ私が選ばれたかわからない「協議会」の会議だった。 きっといろんな意見がほしくて私がいるのかもしれないのだけど、ひとつの言葉への解釈が違うなど、あまりに根本的に違うと、さすがに発言できない・・・ 私は、生きていくということは「自分らしさを世界の中で生かしていくこと」だと思っていた。 その「らしさ」を発見するために、勉強し、集団生活があり、社会の中の自分の立ち位置、居場所の確認をすることが大人になっていくことだと思っていた。そのために若者時代は好奇心旺盛でいろいろなことをするさ。私もいろいろなことがあった・・・不良少女だったこともある。 でも実際の社会は、いろいろやってみたい若者時代でさえ、「平均的」「道からはずれない」ことを求めていることが多いように感じる。とくに学校教育ってそうなのか? 学校の先生の「マイナスの要素をもった若者」という発言に、会議の中で泣きそうになった。なにを基準にマイナスなのかな? あなたの思っているレールや社会のしくみの中に入ること? もしも自分がマイナスの要素といわれたら、そういうカテゴリの中にいれられたら、傷つくだろうな~~ そのあと、とうとう一言も発言できなかったなあ~ 会議の内容自体は理解できるし、決してよくない雰囲気でもないのだけど、もし私がそこで「マイナスの要素ってなにを基準にそんなこと・・」といったら、会議の方向自体がずれていってしまう。 好奇心旺盛なだけなのに生き方を否定されてしまう人 自分を認めてもらいたくてももらえない人 愛されていることを感じることのできない人 が確実にいるんだよね。 ああ、できるなら、そういう人の頭をなでてあげたい。 抱きしめてあげたいな。 あなた「らしく」いていいんだよってね。 |