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2009年01月27日(火) 
私が原さんとあったのは、市民活動をはじめたばかりのころ。2002年だった。ぱどの名刺を持って交流会で全員に配っていた。だから当時、右も左もわからない控えめな私も名刺をもらい、「ぱどタウン」をはじめたばかりで、ぜひ見てください、とていねいな言葉でいわれたんだ。

それから私は「つづき交流ステーション」の前身となる「都筑の魅力探検隊」にかかわった。それらの発信をするたび、原さんにとっても評価されてけっこうモチベーションになっていたと思う。いつも原さんは私をほめてくれた。絶対に人を否定しない人だった。

たとえば、シンポジウム、総会、交流会などのしきりがとってもうまくて、必要な物品ややることリスト、スケジュールなどを整然としたテキストベースで送り、まわりの人たちにわかりやすく情報を共有し、理解を促していくやりかたは彼から学んだ。

私はときどき、彼が身を粉にして市民活動をしているのをみて、心配した。この人は本当に楽しんでいるの?総会の資料づくりとか、いろいろ、いろいろ。うちあげのときには、机や椅子を並べること、ケータリングの手配まで、汗だくなってやっているのをみて。

そう、自らが手を動かし、フィールドワークする人だった。

私が市民活動での悩みを相談したときには、お茶につきあって話しをいつまでも聞いてくれた。具体的な解決にならないこともあったけど、「岩室さんはちゃんとやっててえらいよね~」とほめてくれると、すごくほっとする。そんな存在の人だった。

ちゃんと話をした最後になったときのテーマは「市民活動にいかに価値をつけていくか?」とか、そんな話で議論した。私はその日、基本的に彼の考えには同意しなかったと思う。でもそういう議論が今後の大事なテーマだね、と共有したと思う。

いちばん最後に話したのは、なくなる前々日だったと思う。ZAIMにいてアーカイブの打ち合わせを楽しそうにしていたから、あまりじゃまできないなって、原さあん、と声をかけると手をふって、私はスパ対決見に来てね、といった。
それが最後。

悲しすぎる。
なくなったから美化するわけじゃなく、彼は、本当に「いい人」すぎて私には納得いかないくらいだった。彼のことを悪くいう人を知らない。聞いたことない。

お葬式にでられないと知って私は内心ほっとした。私はお葬式でられない、でたくない。取り乱すに違いない。それを原さんに見られたくないから。

原さん。

地震EXPOのサバイバルキャンプでつくった、ソースせんべいのお好み焼き、おいしかったよね。一緒に足湯をやったよね。私が提案するとすごくうれしそうになんでも手伝ってくれた。

一緒に司会をしたことも何度もあったよね。



ごめんなさい。
今日は泣きたくて。

閲覧数4,453 カテゴリ日記 コメント4 投稿日時2009/01/27 22:25
公開範囲外部公開
コメント(4)
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  • 2009/01/28 00:37
    木曜日。
    ZAIMでのあのときの笑顔が最後だったね。
    彼はデジタルアーカイブ用に震災復興期の古い写真をスキャンしていた。
    「この写真の車見て、T型フォードじゃないかな?珍しいよね」
    「あ、この人は有吉市長ですね。このころのことは開港資料館の松本さんが詳しいですよ・・・」
    そんな会話をした。
    そして僕は震災復興博覧会の音頭「はまおどり」の音源データパソコンで少し再生して聞かせ、データをコピーして渡した。
    彼はこの曲を最後まで聴いてくれただろうか?
    さようなら、原さん。
    あなたの暖かさは忘れません。
    次項有
  • 2009/01/28 13:56
    鉛筆晶子さん
    何度か、日本通りで自転車に乗る原さんとばったりあいました。

    「今日の夜、会議が4つもブッキングで、かけもちで・・」
    そんなにいそがしかったんだよね。
    次項有
  • 2009/02/02 21:25
    まさたかさん
    故人のマイミクを辿りながら、心の整理をしています。
    晶子さんの言うとおり、いつもポジティブな言葉で褒めてくれました。
    いつも一番下で手を動かしていました。

    今年の夏は富士山に登ろうという話をしていたのに、彼の心しか共に登れないのが残念です。

    いつか晶子さんとも飲めたら、語れたらと願います。
    繋がること、それこそが原さんの社会作用でしたから。

    ありがとうって、ぜんぜん、ぜんぜん言えてないよ…。
    次項有
  • 2009/02/03 10:04
    鉛筆晶子さん
    そうそう、富士山に登りにいくということをよくやってるんだ~といってました。体力には自信があるって。
    詳細はまだ不明ですが、2月21日に偲ぶ会がありますね。私は午前別のシンポジウムに出ますが、午後は参加したいと思っています。
    次項有
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