終戦後、上海から帰還した柳田さんは、横浜で中国人コックの手伝いの仕事を見つけた。 しばらく見習いで働いたあと、次に得た仕事は米軍将校の家での料理人。 最初はボーイで入りたかったのだが、相手の求めているのがコックだったのである。 正式には料理人とはいえない経歴だったが、そこはハッタリで採用された。 喫茶「アンデルセン」 毎日、近所の人たちで賑わっている。地域の“居場所”のような存在。 当時、本牧の接収地に住んでいたのは下士官と兵隊で、将校は山手の高級住宅に住んでいた。 柳田さんを採用したのはジャック・Y・キャノンという少佐だった。 仕事は少佐夫妻の子どもたちの食事を作ることである。しかも彼らはテキサス出身。そこの郷土料理を作らなければならない。 夫人にそれを作れるかと聞かれた柳田さん、 「私がやっていたのはアメリカ東部の料理で……」と咄嗟に答えた。 少佐宅へ通ううちにクッキング・ブックを借り受け、自宅で翻訳し作り方を学んでいったという。 ここで料理の腕と英語力に磨きをかけたのであった。 山手の邸宅ではこんなことも体験した。 ある朝、柳田さんが少佐を起こすため彼の部屋に行きドアを開けると、ベッドの上でピストルをこちらに向けられたのである。 この家にはいたるところに銃器が置いてあった。銃身の長いライフル銃、ピストルなど、身近なところに5,6丁は見たという。 1979年頃の本牧1丁目交差点。 左側角が「アンデルセン」。本牧通り側ではパンを売っていた。 ジャック・Y・キャノン少佐というのは、単なる将校ではなかった。実はGHQ参謀第2部直轄の秘密諜報機関(通称キャノン機関)の最高責任者だったのである。 肩書きは凄い人物であるが、なかなか気さくで優しい軍人だったようだ。たまには少佐からプレゼントをもらうことも。 今まで日本軍の上官から貰っていたのは、意味もないビンタだったので、これは新鮮な驚きであった。 山手のキャノン宅で料理を作っているうちに、少佐から意外な話が舞い込んできた。 「ホテル・ニューグランドでコックをやらないか」というのだ。 すごいお誘いだったが、大学生の途中で出征した柳田さんには復学の希望があった。 その話はそれで立ち消えになったが、もしもニューグランドに行っていたら、今頃は……。 英語力を高めた柳田さんは、その後、チャブ屋を利用する米兵たちの通訳などもやったりしていたが、昭和30年代には設備関係の店を始めた。そこでも、ボイラーやストーブなどの仕事で、やはりアメリカ人の家を訪問したりする日々だった。 「本牧にはアメリカ人がいなければ、本牧じゃない」 本牧とは何か? に対する、柳田さんの答えの一つである。 「アンデルセン」の店内書棚。 歴史好きのご主人の愛読書。時代小説がギッシリ。 アメリカの香りのするご主人だが、日本の歴史に関する造詣が深く、店内には時代小説や歴史グラビアなどがギッシリ。こちらに関してもお話は尽きない。 この続きを聞きたい方は、ぜひ本牧のお店まで足を運んでみてください。 時間の経つのを忘れますよ。 ■お店情報■ 店名:喫茶「アンデルセン」 住所:本牧町1-98 電話:045-623-9927 前回・前々回の記事はこちらから 喫茶「アンデルセン」のご主人に聞く(1)http://sns.yokohama150.jp/blog/blog.php?key=21916 喫茶「アンデルセン」のご主人に聞く(2)http://sns.yokohama150.jp/blog/blog.php?key=22123 posted by よんなん |