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2009年12月20日(日) 
 終戦後、上海から帰還した柳田さんは、横浜で中国人コックの手伝いの仕事を見つけた。
 しばらく見習いで働いたあと、次に得た仕事は米軍将校の家での料理人。
 最初はボーイで入りたかったのだが、相手の求めているのがコックだったのである。
 正式には料理人とはいえない経歴だったが、そこはハッタリで採用された。

 
 喫茶「アンデルセン」
 毎日、近所の人たちで賑わっている。地域の“居場所”のような存在。


 当時、本牧の接収地に住んでいたのは下士官と兵隊で、将校は山手の高級住宅に住んでいた。
 柳田さんを採用したのはジャック・Y・キャノンという少佐だった。

 仕事は少佐夫妻の子どもたちの食事を作ることである。しかも彼らはテキサス出身。そこの郷土料理を作らなければならない。
 夫人にそれを作れるかと聞かれた柳田さん、
 「私がやっていたのはアメリカ東部の料理で……」と咄嗟に答えた。

 少佐宅へ通ううちにクッキング・ブックを借り受け、自宅で翻訳し作り方を学んでいったという。
 ここで料理の腕と英語力に磨きをかけたのであった。

 山手の邸宅ではこんなことも体験した。
 ある朝、柳田さんが少佐を起こすため彼の部屋に行きドアを開けると、ベッドの上でピストルをこちらに向けられたのである。
 この家にはいたるところに銃器が置いてあった。銃身の長いライフル銃、ピストルなど、身近なところに5,6丁は見たという。

 
 1979年頃の本牧1丁目交差点。
 左側角が「アンデルセン」。本牧通り側ではパンを売っていた。


 ジャック・Y・キャノン少佐というのは、単なる将校ではなかった。実はGHQ参謀第2部直轄の秘密諜報機関(通称キャノン機関)の最高責任者だったのである。
 肩書きは凄い人物であるが、なかなか気さくで優しい軍人だったようだ。たまには少佐からプレゼントをもらうことも。
 今まで日本軍の上官から貰っていたのは、意味もないビンタだったので、これは新鮮な驚きであった。

 山手のキャノン宅で料理を作っているうちに、少佐から意外な話が舞い込んできた。
 「ホテル・ニューグランドでコックをやらないか」というのだ。
 すごいお誘いだったが、大学生の途中で出征した柳田さんには復学の希望があった。
 その話はそれで立ち消えになったが、もしもニューグランドに行っていたら、今頃は……。

 英語力を高めた柳田さんは、その後、チャブ屋を利用する米兵たちの通訳などもやったりしていたが、昭和30年代には設備関係の店を始めた。そこでも、ボイラーやストーブなどの仕事で、やはりアメリカ人の家を訪問したりする日々だった。

 「本牧にはアメリカ人がいなければ、本牧じゃない」
 本牧とは何か? に対する、柳田さんの答えの一つである。

 
 「アンデルセン」の店内書棚。
 歴史好きのご主人の愛読書。時代小説がギッシリ。


 アメリカの香りのするご主人だが、日本の歴史に関する造詣が深く、店内には時代小説や歴史グラビアなどがギッシリ。こちらに関してもお話は尽きない。

 この続きを聞きたい方は、ぜひ本牧のお店まで足を運んでみてください。
 時間の経つのを忘れますよ。

■お店情報■
店名:喫茶「アンデルセン」
住所:本牧町1-98
電話:045-623-9927


前回・前々回の記事はこちらから
喫茶「アンデルセン」のご主人に聞く(1)http://sns.yokohama150.jp/blog/blog.php?key=21916
喫茶「アンデルセン」のご主人に聞く(2)http://sns.yokohama150.jp/blog/blog.php?key=22123

posted by よんなん

閲覧数5,574 カテゴリ本牧・本郷町の歴史 コメント6 投稿日時2009/12/20 16:48
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