わが娘6歳。 いつか結婚するであろう男性は本日プロゴルファー宣言した「石川遼くん」のような人がいい。 アマとはいえ勝負の世界で生きてきた彼は、記者会見で「負けることを承知で世界に出て行く」といった。 きゃーーーー素敵☆ まるで彼の成長を近くで見守ってきた、近所のおばさん状態。 人間何とでもいえる。でもあれは彼なりの感じたままの一言だろう。 勝負の世界では「かち」と「まけ」がとってもわかりやすい。 普通の人生ではそのあたりわかりづらい。 それなのに「かちぐみ」「まけぐみ」とか、ご丁寧に色分けして落ち込んだり、喜んだりしている。 「かち」「まけ」にこだわるのだとしたら、今が前よりもよければ、ここに来るまでの経過はきっと「かち」につなげるために必要なものだったんだろうな、とおもう。だから「まけ」はない、とおもう。 たとえ「まけた」と思ったとしても、自分がやりたいことに対してのことならば、きっといつかはその「まけたと思った感情」がいきてくるはず。 まけないと、工夫は生まれない。 やってやろうじゃないかと思えない。 人の痛みがわからない。 世の中の理不尽さを知ることはできない。 なによりも、人を知る事が出来ない。 本当の優しさはなんなのか、こういうときでないと知る事が出来ない。 昨日実質上倒産した取引先から支払い調書が届いた。 ぜんぜん足りないんだよね、お支払い金額。 バイト代だけじゃん。 心血注ぎ込んだプロジェクトへの労力、経費、関わった人たちに対するなにもかもを、私が立て替えて払いつづけている。 弁護士費用も、なにもかも、だ。 貸しは倍増した借金へとなってしまった。 けど、負けないどー。 起き上がってやるう。 命と思いはとられるもんかー。 私の後ろには足跡がいっぱいある。 踏みしめた足跡。ズレた足跡。 でも今も歩くことができている。 よかった、よかった。 そう、いつかきっと良かったと思える日まで 当初やりたかった事は、やりたいように出来なかったけど でも形を変えても頑張りたい。 |