今回の毒入り輸入米について、現在の農林大臣がテレビ放映で、
「体に害にならないと断言できる」
「消費者の立場だけで判断しては困る。
生産者の立場も考慮して欲しい」
と堂々と発言している。
これは、中国の毒入り餃子と同じ論理で、社会保険庁の現状と同じである。
これらの発言は、靖国神社の参拝に対する発言と相通じているので
びっくりである。
農林省の役人に毎食毒入り輸入米を食べてみてもらってはどうでしょうか
ここのところ頻発している一連の『無差別』といわれる事件。 これは決して『無差別』でない。 確実に自分よりも弱い人たちをターゲットにしている、から。 近親者や実際自分に関わってきた人たちを狙わないのは、「勝ち組」と「負け組」の意識がどこかに働くから。 そして自分の周囲に刃をむけようとすると、あまりにもターゲットがひろがりすぎて衝動を瞬時に爆発させる事ができないから。だから「誰でもよかった」という言葉を額面通りに 受け取るのは疑問だ。 キレる人間を育てていったのは誰なのだろうか。 親だけではなく、成長の過程で出会った人たちとの関わりが育てているに過ぎない。 想像以上に、いまひとりひとりが弱くなっている。 社会に不安定な要素が多すぎる。その不安に押しつぶされそうになり、見えない不安を解消するため、見える誰かを追い込み、傷つけ、排除し。そうしてどうにかやり過ごしている気がしてならない。 結局、傷つけられないように、深入りをせず。その結果コミュニケーションをとるということ自体を避けてしまう。 さらに耳障りの良い言葉だけを選んで、思いのこもったそうじゃない言葉を刃と思い込み。 これじゃ良くなりようがない。最終的に追い込まれた人たちは、犠牲者から加害者へとなる。 こうなったのはいつからなのだろうか。 何が原因なのだろうか。 問題があると言われている世代にフォーカスするのではなく、その世代を育ててきた人たちの中に潜む原因を探らないで、解決できるとは思えない。 だからこそ、子育て支援ではなく、親支援なのだとおもう。 一日30品目のものを食べさせないといけない。なんていう不要なストレスを与えるような情報ではなく、今問題になっていることの背景にある原因を探り、それを解決するための手段になるような、そんな支援の形ができればいいなとおもう。 10年後、20年後、未来を変えるためには、今を見直さなくては、とそう思う。 |