青森のリンゴ農家・木村秋則さんが作った無農薬・無堆肥の「奇跡のリンゴ」のドキュメントを読む。 「リンゴは農薬なしでは育たない」という常識を覆す木村さんの偉業は、テレビなどでも紹介され大きな反響を呼びましたが、その過程は壮絶という言葉以外では言い表せないものだったようです。 同業者からの誹謗中傷、リンゴが育たない期間の収入途絶による貧困・・・それでも木村さんにとって救いだったのは義父母・妻・娘さんなど家族の理解があったこと。 それすらもなかったら、私たちが「奇跡のリンゴ」を目にすることはなかったのは間違いないでしょう。 なぜなら、試行錯誤する日々に限界を感じた時、家族が理解している状況にあっても木村さんは「死」を選ぼうとしたからです。 そして、死に場所を求めて彷徨った山の中で、木村さんは「探していた答え」を発見します。 その答えとは「土」でした。 同時に木村さんは、これまでの自分の行動全てが間違っていたことに気がつくのです。 リンゴの木は土がなければ育たない。 そして、その土に養分やリンゴの木が根を伸ばしやすい環境などをもたらしていたのは、雑草や土中の微生物だった。 それなのに自分は雑草を刈り込み、土の上の「リンゴの木」だけしか見ず、根がしっかりしない弱った木に「結果」として現れる病害虫を殺す「農薬以外のもの」を探していただけだった・・・。 微生物や雑草は自分達が何をしているかを語ることはもちろんありません。 でもこの地球上に必要なく存在しているものはなにひとつありません。 それを「何の役にも立っていない」と勝手に断ずることこそが「エゴ」と呼ばれるものなのでしょう。 普通のリンゴとはなにもかも違うという木村さんのリンゴは、体を張って「エゴ」を見える化した証であり、「人間は自然の恵みを分け与えてもらう存在」だと悟った木村さんへ地球が授けてくれた「知恵の実」だったのではないかと思えるような深い感動がありました。 読み終わって、ふと「人間社会もこの土壌をどう作るかで、どんなリンゴが作れるかが変わってくるのではないか?」と思い至りました。 人間が作る社会を「土壌」に例えたら、我々は一体どんな役割なんだろう? 雑草?微生物? でも雑草が雑草を殺すとか、農薬を撒くとか聞いたことないなぁ。 じゃあリンゴ? でもそしたら誰が土を作ってくれるの。 と、あれこれ考えた結果、「子供達」がリンゴの木で、そして雑草や微生物として土を作ってくれているのは過去に生きた様々な命たち、そして「大人達」は木村さんのように木を守る立場かなという結論に至りました。 常識をいい意味で疑い、「リンゴの木のために良い」と思って撒いているそれが実は土を殺し、根を弱らすことになっていないかをよく見極めること。 雑草が土中にもたらす栄養が微生物を活性化させるように、色々な知識・経験・知恵をつなぎあわせないといけないこと。 そのために過去を紐解き、間違いを間違いと、良いことを良いことと認められるようにならないといけないこと。 いつまでも栄養のある土を作れるように、多様性を持ち、進化の過程から淘汰されないようにしないといけないこと。 地球のためとかなんとかじゃなくて、人類が人類として存在し続けるためにそんなことが必要なんじゃないか・・・とか、我ながらリンゴから随分ぶっ飛んだなぁ~(笑)と思いつつ考えたのでした。 木村さんのリンゴ。 いつかみんなが当たり前に、でも尊いものだと思って食べられる日が来るといいな。^^ |