時間外にとある場所で「つながる」ことについて考えた夜。 自宅に帰ってから、録画してあったNEWS ZERO特別編を見る。 今公開中のジブリ映画「借りぐらしのアリエッティ」の監督をした新人監督・米林氏のドキュメント。 この映画で脚本を手がけた宮崎駿氏は、映画が完成するまで絵コンテすら見ることはなく、一切を米林氏に委ねたという。 それについて宮崎氏は、 「我々は彼を起用して彼に全てを託している。 それが全てのことを意味している。」 と語る。 さらに 「一番最後にやらなければいけないのは、そのフィルムの味方に自分達がなろうとすることですよね。 それが僕らの最後の責任だと思いますけど。 つまり、企画を決め、人を選んで、それでやることを認めたわけですから。 とにかく這うようにでも進んでいるんですから、それは大したことなんですよ。 僕らもっと遅いですからね。這うのは。 麻呂(米林氏の愛称)よりずっと遅くやってますから。 だから麻呂が遅いとか思えないです。 よくやってるって思うんですよ。」 Y150ヒルサイド以来「つながる」ことについてばかり気にしていたけど、「つなぐ」とか「つなげる」ということについては考えていなかったなぁ。 私達は自分達が「つなげる」と決めたものに対して「味方になろうと」しているだろうか? 仕事や、地域活動や、政治について。 「つなげ」ておきながら、遠く安全地帯で文句を言うだけになってはいないだろうか? そんなことを考えさせられる宮崎氏の言葉でした。 |