『里山再生』田中淳夫著、洋泉社y新書、740円+悪税 「昔々、おじいさんは山へ柴刈りに」と語られた山とは、人里にほど近い里山。戦後のエネルギー革命で石油が生活の中心となるまでは、里山の柴や木々から割り出した薪が燃料として活用されていた。 今では一般的となった「里山」の言葉は、1960年代に四出井綱英(しでいつなひで)京大名誉教授が命名したという(へえ)。 里山の動植物は、人が手を入れることを好むという(へえ)。クヌギやコナラは、木が切られたあとの、まわりにライバルとなる植物がいない状態を好んで成長する。 一度絶滅したものの佐渡島で再繁殖が進められているトキも実は里山を好んで営巣するという(へえ)。このため佐渡島では現在、里山の保全が進められているという。 この本では、熱帯のジャングルもまた里山とされている。焼き畑農業のため、約20年に一度、人によって焼き払われている二次林だからだ(へえ)。 「森林浴」の言葉に代表されるように、里山は癒しの場ともなっている。見通しのきかない奥山よりも、日本人は快適性を感じるという。見通しのきく雑木林は自らの安全性を確認しやすく、周囲には棚田や畑地が広がって、視覚的にも変化に富んでいるからだという。 ところが近年、里山が急速に荒廃している。里山は、定期的に人の手が入ることで維持されているシステムだが、過疎化やイノシシ(最近はクマまで)の出没によって、放棄されるところが増えているからだ。 「人の手が入らなければ自然に還る」などと平気でのたまう大学教授(もちろん森林が専門ではない)もいると聞くが、そうではない。放置されたスギや侵入してきた竹に覆われた林は、日差しが地面まで届かず、下草が生えなくなる。落葉樹などの落ち葉がなくなることで土地の保水力は下がり、大雨でたちまち地滑りを起こすことになる。そうでなくても、荒れた山となる。 こうした里山を再生するにはどうすればいいか。 都市住民によるボランティアに鍵があると著者は見る。その裏付けとなる事例を各地に訪ねる。 京都府の丹後半島にある地球デザインスクールは、都市から来るボランティアが協力して整備が進められている。 大阪府南部で活動する里山倶楽部は、里山整備や農作業の初心者向け有料講座を開いて収益をあげている。利益は事業を継続させるために必要であり、地元の農家に存在を認めてもらうのにも必要だという。 軽井沢在住の上原巌氏(東海女子大講師)は、高校生・大学生のカウンセリングを森で行い、ノイローゼや鬱に効果をあげている。 こうした取り組みをさらに広め、里山システムを回復させるために、著者は里山認証制度を提案する。環境や景観に配慮した里山経営を第三者機関が認証する仕組みだ。そこから「そこそこ儲ける」自律システムがうまれると著者は言うが、それを実行していく人材の養成は大きな課題だ。 購入はこちら <iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_top&bc1=000000…4896917030 " style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe> 専用ブログ http://blogs.yahoo.co.jp/beyphis/33489009.html |