ちょっと、逃避モード。 久しぶりに夢を見た。なんと”地震”に遭遇。 そこで、地震対策ネタを書き綴ってみることに。 ちょっとした社会貢献になる? 対策案には、賛否あると思いますし、時代とともに考え方も 変わってきているらしいので、気になったことをコメントいただけると ありがたく。 【はじめに】 私自身が地震に遭遇したのは、「1978年宮城県沖地震」。 http://www.city.sendai.jp/syoubou/bousai/sairai/index.html それまで、不思議と動物的カンで地震の予知ができていた。 おおよそ48時間以内にグラグラとやってくるわけである。 その時は、学校の参観日のようなイベントがあって、両親とともに 松島に一泊することになっていた。松島できれいな風景を見ながら 「地震が来るかも」と言ったそうだが、「縁起でもない」と一蹴された 記憶がある。次の日、両親は大船に帰り、私は寮に戻った。 この地震には、予震があった。何か出し切らない嫌な感覚を 覚えながら、外へ買い物に出かけた。その時、本震が襲う。 電信柱の列が波を打ち、田んぼの稲にゆったりとしたウェーブが 走った。 直接の被害は無かったがいろいろなことを経験した。化学室で 薬品が落下してボヤがあったような記憶がある。都市ガスの 復旧に全国からプロが集まったという記事を読んだ。 私の一番の損害は、それまでの地震予知っぽい動物的カンが まったく機能しなくなったことである。 だから、いろいろと対策しないといけなくなった。 私の親戚や友人が、神戸の長田区を中心に点在している。 幸い、直接の被害は受けていないが、いろいろな話を聞くことがある。 家内の実家が新潟県の十日町市である。このときは、応援に 駆け付けた。皮肉なことに私が滞在した間だけ、余震がなかった。 それらの経験から少し書いてみるので、もし参考になることが あれば活かしていただきたい。 ただし、私自身がちゃんと対策できているかどうかは定かではない。 「灯台下暗し」というやつである。 だからと言って、出し惜しみはしない、つもり。 さて、まず何から考えるかというと基本的な心構えから。 えらそうなことを言うつもりはないが、これがないと始まらない。 役所などは、そのお役目、責任から被災時の救援体制などの 整備を進めている。一方で、全市民の救援が役所の力で できるわけではないと説明している。 つまり、一市民として、「救援される側」に立つか、 「救援する側」に立つかで大きな違いがある。 「救援される側」に立って対策を進めるのと、「救援する側」に 立って対策を進めるのでは自ずと大きな違いがあると思う。 今回は、「救援する側」に立つために自分は何ができるかを 考えていきたい。 |