(きのうのつづき) 病院の待合室にロック雑誌「ロッキング・オン」があるというのも、 なかなかシュールな光景ではある。 その病院は心療内科で 私は軽いうつ病と診断されていたりもする (評者の個人的な状況を述べて その中に普遍的な共感を見いだそうとするのも 創刊当時の「ロッキング・オン」のお約束だった)。 自分の将来が見えなくなったとき 私は発病したのではあるが、 では10代の私に なにがしかの未来はあったのか。 待合室で久しぶりに再会した「ロッキング・オン」は そのように問いかけてきているようでもあった。 当時愛聴していたのはキング・クリムゾン 「スターレス・アンド・バイブルブラック」。 なんだ、今も昔もお先まっくらだったではないか。 当時はあった親の庇護が現在はなくなった、 ただそれだけのことだ。 「社会がまっくらならサーチライトをつければいいじゃないか、 とクラフトワークは言った」。 学生時代に読んだ「ロッキング・オン」で 誰かがそう言っていた。 でも、サーチライトをどうやって点ければいいのだろうか、 そもそもサーチライトはどこにあるのだろうか。 30年たった今ももよくわからない。 医者にきいてみるわけにもいかない。 診療が終わって受付で支払いをしているときに、 壁に掛けられたカレンダーが ピンク・フロイドのものであることに気がついた。 その月は「ザ・ウォール」をモチーフにしていた。 社会学の構造主義は、 個人の自由意志で生きているように見えるヒトというものが 実は網の目にように張りめぐらされた 社会的コード(構造)のなかで生きていることを明らかにしたが (このように学問を援用して権威づけするのも昔流行った)、 それをピンク・フロイドは 個人がコンクリート・ブロックに押し込められていると表現した (「レンガの誤訳」と学生時代ずいぶん叩かれたが、 レンガといってピンとくる人がこの日本にどれだけいるのだろう。 今なら「超訳です」と答えられる)。 「構造の締め付けが当時よりも厳しくなり、 病気になる人が増えています」。 かかりつけの心療内科医は ピンク・フロイドのカレンダーでそう言っているようにも思えるのだった。 |