サラリーマンのヤマダさんは20代後半、独身。中堅の会社にお勤めのようです。見た目には、ばりばりと働くタイプではなく、どちらかと言えばあまりパッとしないかんじ。世に言う、うだつの上がらないサラリーマンです。 「あ~、お腹すいたなあ。今朝も寝坊してカップめんしか食べてないし、お昼休みは短いし、給料日前でお金はないし、安くて手軽なところで済ませることにするか」 ある日のお昼休み、ヤマダさんは職場を抜け出し、手早くお昼ご飯を済ませようとしていました。 「お、そば屋があるじゃないか。おやじ~、天ぷらそば一丁」 「ちょっと待ってください、ヤマダさん」 のれんをくぐろうとしたヤマダさんがふり返ると、店の外にショールのようなものを頭からかぶった東南アジアの留学生マクさんが立っていました。 「安いからって、天ぷらそばですか」 マクさんのお国は、タイともマレーシア、インドネシアともはっきりしませんが、彼女の意志の強さは、そのまなじりに現れていました。 「天ぷらそばに何か問題でもあるの?」 けげんそうに言いながら、ヤマダさんはそば屋の亭主から天ぷらそばを受け取りました。 「その天ぷらにのっているエビがどこから来ているか知っていますか、ヤマダさん」 マクさんは少しイラっときたようですが、ヤマダさんはそんなことはおかまいなしです。 「え? このエビ?」と、言ってハシでエビをつまみ上げ、しげしげと眺めながら言います。「さ~ぁ、どこから来ているのだろうね」 「まったく困ったものですね、日本の人たちは」と、マクさんは吐き捨てるように言いました。「私たちから食べ物を買えるだけ買って、私たちがどんな生活をしているのか知ろうともしない」「今から教えてあげます」 マクさんはいきなり世界地図を取り出すと、「これを見てください」と、ボルネオ島を中心に東南アジアを示しました。 「私は日本から南西に飛行機で約8時間の、東南アジアから来ました」 「東南アジアは温かい海に囲まれて、熱帯雨林(ジャングル)におおわれた、とても自然の豊かなところです」 「私のお父さんもお母さんも、そのお父さんもお母さんも、この豊かな自然の中で生きてきました」 「ジャングルにはたくさんの動物や植物が生きていて、私たちの食べ物をはじめ、薬や家の材料になるもの、毎日の生活に必要なものをすべて与えてくれます」 「ジャングルは、私たちの宝です」 マクさんの話をヤマダさんは聞いているのかいないのか、ふうふうおそばに息を吹きかけながらずるずると食べています。マクさんの話は続きます。 「海岸にはたくさんのマングローブが生えていて、その下には小魚やエビ、カニといった海の生き物たちがたくさん暮らしています」 「あ~、知っているよ」マクさんを見ることもなく、はしでつまんだおそばを上げ下げしながらヤマダさんが気のない返事をしました。「東南アジアには正月休みに行ったよ。暖かいし、海はきれいだし、自然がすごく豊かだし、リゾートには最高だね」 そういうと、ヤマダさんは、またおそばをずるっと食べました。マクさんの目がするどく、きらりと光りました。 「ところが日本人がたくさんのエビを食べるようになって、エビの養殖場をつくるため、マングローブがどんどん切られてしまった」 マクさんの目はヤマダさんから離れ、どこか遠くを見つめているようです。 「そのために、マングローブの下にいた海の生き物たちが姿を消して、私たちの食べる魚やエビが捕れなくなってしまったのです」 「それだけじゃないの、マングローブをつぶしてつくったエビの養殖場も何年かすると、酸性になった土が水に溶け出して、エビの養殖ができなくなるの。あとには木も生えないわ」 マクさんはふたたびヤマダさんをにらみつけました。 「日本人がエビを食べるために私たちの食べ物がなくなって、豊かだった自然もどんどんなくなっているんですよ!」 ヤマダさんは平然と答えます。 「へ~、でも東南アジアには日本の何倍も豊かな自然があるんでしょ。少々エビの養殖場をつくったくらい、どうってことないよ。エビは日本で養殖するよりも、東南アジアで育てた方がはるかに安いから、これからもつくらせてもらいますよ」 そう言うとヤマダさんはエビをはしでつまみあげ、あ~んと大きく口を開けてエビを食べました。 「あ~、やっぱりエビはおいしいなあ」 「もう、ヤマダさんったら」 マクさんは忌々(いまいま)しげにつぶやきました。 |