U.K.ファイナルコンサート 4月30日、中野サンプラザ 1960年代後半から70年代前半に隆盛を極めた 「プログレッシブ・ロック(通称、プログレ)」は ジャズやクラシックの要素を取り入れた音楽ジャンル。 組曲的展開やアドリブが延々と続くことから 1曲で20分(当時のLPレコードの片面全部)という作品もあり 難解であることがさも偉いことであるかのように言うファンもいた。 プログレバンドはイギリスで生まれた。 キング・クリムゾンのデビューアルバムは ビートルズの「アビー・ロード」をチャート1位から 蹴落として、伝説となった。 後にアメリカにも誕生したが 本家イギリスは1970年代後半下火になっていった。 U.K.は、プログレの起死回生をはかるベテラン4人 (うち2人は元キング・クリムゾン、1名は同バンドのライブ盤のみ参加)で 1978年にイギリスで誕生した。 オリジナルメンバーは ジョン・ウエットン ベース、ボーカル ビル・ブラッフォード ドラムス (ピーター・バラカンによれば「ブルーフォード」が正しい発音。 スペルはBruford) エディー・ジョブソン キーボード、バイオリン アラン・ホールズワース ギター アルバム1枚で、ビルとアランは「音楽性が違う」と、脱退。 アメリカ人ドラマー、テリー・ボジオを迎えて セカンド・アルバムが制作された。 U.K.はアメリカや本国イギリスでは鳴かず飛ばずだったのに 日本では大絶賛された(私もした)。 メンバーも大喜び。 ジョンの「キミターチ、サイコダヨ(君たち最高だよ)」というMCが ライブ盤「ナイト・アフターナイト」に収録されている。 しかし、バンドは解散。 ジョン・ウエットンはよりコマーシャルな大ヒット・プログレバンド エイジアを結成することになる。 * U.K.は2011年に、にわかに復活し いつの間にか(私の知らない間に)4回も来日。 エディーが60歳を迎えた今年、 かつてのライブ盤を録音した中野サンプラザが バンドにとっての最後の舞台となった。 とはいえ、35年間、新作を出していないバンドのコンサート。 コンサート会場につきものの CDの発売もなければ メンバーを紹介するプログラムの発売もない。 ポスターさえ、なかった。 「U.K.」の文字が入ったTシャツだけが売られていた たいへん地味なコンサート会場ロビー。 でも、演奏は違った。 メンバーは エディー・ジョブソン キーボード、バイオリン ジョン・ウエットン ベース、ボーカル アレックス・マカセック ギター マイク・マンジーニ ドラムス(ドリーム・シアター) コンサートは充実していた。 2枚のスタジオ盤から各1曲を除いた全てと ライブ盤から1曲。 間にエディーの現代音楽風ソロ2曲と マイクのドラムソロ。 そして、ビルとアランが持ち去った楽曲 「フォーエヴァー・アンティル・サンデー」 (バンド名ブラッフォード)のカバーが演奏された。 * U.K.以前にビルとジョンが所属したバンド、キング・クリムゾンは 「男による、男のための、男のバンド」(今野雄二)と言われたが 会場に詰めかけているのは圧倒的におじさん。 ちらほらと若い女性、そして外国人の姿が目につく。 「最後の公演だからカナダや香港からも来ている」(エディー)。 おじさんは立つ体力がないから ハイライト「プレスト・ヴィヴァーチェ」でのスタンディング・オベーションと アンコールで立っただけ。 それでも、アンコール3曲が終わり 後奏曲が終わっても拍手が鳴りやまず 会場も客席照明をつけることをためらったほど。 プログレは、ジャズの要素を取り入れてはいるが ジャズではない。 ギターソロは決められた小節、決められたリフやフレーズを弾く。 (リフとは、同じフレーズを繰り返すことで盛り上げるもの) そこがジャズ出身のアランには耐えられなかったようだが アレックスのギターは出しゃばらず アランをリスペクトしつつ 淡々と自分の役割をこなす。 マイクのドラムスは重量級で はじめはベースの音がよく聞き取れなかったほど。 ジョンは高音がちょっと苦しくなったものの 哀愁のメロディーを、はりのある歌声で聞かせてくれた。 エディーの透明バイオリン(ボディーが透明)が出てきたときは 長年の夢! (大学生の頃、ロキシー・ミュージックのライブ盤で 彼のバイオリン演奏を聴いて以来、ずっと見たかった) 少なからず感動した。 会場を占めていたのは圧倒的にそういうおじさんたち。 だが、クラシック音楽に懐メロがないように U.K.の演奏も懐メロではなかったな。 画像は開演前の中野サンプラザと ジョン・ウエットンの立ち位置。 アルバムジャケットはデビュー・アルバムのもの。 |