すごく深いブログで思わずコメントしちゃいます。
とはいっても何を書いてよいのやら、わかんないですが・・おっしゃるとおりだと思いました!
sa-yaさんのおっしゃる「青い鳥」は、結構近くに隠されたり、気づかなかったりするだけな気がします。
「大使閣下の料理人」という漫画を知っていますか? 各国要人の思惑渦巻く食卓外交の場で活躍する公邸料理人・大沢公が、「味の外交官」として料理で世界の様々な難しい問題に立ち向かうお話です。 その中に「創造性」に関するお話がありました。 大沢公は、米国&英国と中東政策に関して軋轢を起こしているフランスから、関係修復を目的としたエリゼ宮での設宴を依頼されます。 しかし、伝統を重んじるフランスにおいてエリゼ宮の厨房を外国人に委ねるなどというのは例外中の例外。 エリゼ宮の料理人達は、自分達の「料理長」として伝統ある厨房を委ねるに値するかどうかを試すために、公に料理を作れと要求します。 それに応えるために最先端の技術を用いて作った公の料理は、見事にエリゼ宮の料理人達に否定されてしまいます。 そして料理長は公に対して、あるビストロに行けばなぜ自分が公の料理にダメだしをしたのかわかるだろうと言うのでした。 指定された場所は、おばあさんが一人でやっている小さなお店で、メニューは素朴なビストロ料理のみ。 しかし、その料理を一口食べた公は、そのあまりの美味しさに衝撃を受ける。 公はおばあさんに聞きます。 「なにか特別な素材を使っているのか?」 おばあさんは否定した上で 「80年間同じ生産者から仕入れた食材で、同じメニューを作りつづけている。」 と答えます。 なぜそんな単調なことを続けていられるのか?という問いに対して、おばあさんは言います。 「単調などと考えたことは一度もない。人間が一人一人みんな違うように、食材だって同じものはひとつもなく、それぞれ味が薄かったり柔らかかったりひとつひとつが全て違う。毎日新しい食材との出会いがあり、そこからできる料理も同じものはひとつもない。みんな新しい新鮮な一皿なのだ。」 創造性とは斬新さだけのことではない。 食材との出会いに対する新鮮な感動と、その味を持てる技術を使って最大限まで引き出そうとすることこそが「創造性」である。 そのことに気がついた公は、エリゼ宮の料理人達の信頼を勝ち取り、設宴を成功に導く・・・という内容です。 大量消費型の経済発展は、古いものを捨てて、新しいものへと取り替えることで成り立ちますが、そのパラダイムシフトの中で「ある物質は常に固定」なのだという勘違いを植え付けられた気がしています。 そしてその勘違いにより、手の届くところにある「素材の良さ」に気がつくことも、その味を引き出すための技術を身につけることも「古臭い」の一言で片付けられていたのではないかと思うのです。 「青い鳥」の話のように幸せも発展も手の届かない遠いところではなく、ほんの近くにあって気がついていないだけ・・・。 Y150ヒルサイドの創発プロジェクトや、イマジン・ヨコハマは、そんな近くの「青い鳥」を探そうとする「ココロミ」ではなかったか。 読みながらそんな風に思いました。 |