> ちっぽけさんさん
昔の「江戸」は今の「東京」では望めませぬのであのようなところが今の「横浜」で望めたら、と思っています。
「都心から出発するとしても、どの方向に進んでも、木のおい茂った丘があり、常緑の植物や大きな木で縁どられたにこやかな谷間や木蔭の小道がある。しかも市内でさえも、とくに官庁街の城壁沿いの道路や、そこから田舎の方向に向って走っている多くの道路や並木道には、ひろびろとした緑の斜面とか、寺の庭園とか、樹木のよく茂った公園とかがあって、目を楽しませてくれる。このように、市内でも楽しむことのできるような都市はほかにない」 「江戸の独自性は都市が田園によって浸透されていることにあった」 「つまり江戸は、けっして「大きな村」なのではなかった。それはあくまで、ユニークな田園都市だった。田園化された都市であると同時に、都市化された田園だった」 「日本人は何と自然を熱愛しているのだろう。何と自然の美を利用することをよく知っているのだろう。安楽で静かで幸福な生活、大それた欲望を持たず、競争もせず、穏やかな感覚と慎しやかな物質的満足感に満ちた生活を何と上手に組み立てることを知っているのだろう」 渡辺京二はその著「逝きし世の面影」のなかで、開国後日本を訪れた外国人たちの言葉を紹介しながら、過ぎ去った日本の「街」と「人」について自分の「思い」を語っている。幾許かでもその「面影」が、見られるようなところが残っていれば、「住みやすい街」のような気がする。 |