大学に入るために東京に出てきた頃だからもう四十年ほども前になる。その頃つきあっていた彼女に自宅での夕ご飯に誘われた。自宅だから当然に家族とも会うことになり彼女のご両親と「対面」ということになるのだけれど、その頃はお互いにまだ未成年で何の配慮もなく「いいね」と軽い気持ちで出かけて行った。今はもう大都会の一角となった練馬のOというところは、駅から少し歩きその周りがまだ田園風景を残していて、「東京だけれど田舎だなぁ」と自分が四国の田舎から出てきたことは忘れて、その「郊外」を「批評」した。彼女の家は、貧乏学生には門構えも「立派」に思え、彼女の父親も口数が少なかったが、優しく落ち着いて見えた。母親は想像したとおりはきはきとしていてやはり「暖かく」家族を「仕切っている」ように思えた。そこには確かに「家庭」があって、これから「大人」になってゆかねばならない身にとっては、なにやら「重い」ものがあったことを思い出す。彼女はあいかわらず「明るく」て、食事は座敷のようなところで二人で摂らせてくれた。和食だったように思うけれども、食事中はあまり言葉も交わすことなく、互いに箸を進めていて、そのとき家の外ではすこし風が出てきたようで、庭の樹々が揺れて葉の擦れる音が妙に耳に残った。しばらくして彼女は、ふと箸を止めて「葉擦れね」とポツンと言った。そのときの彼女は「少女」ではなくて立派な「大人」で、自分にはないものをすでに持っているような「雰囲気」があり、とても「好き」になった、のを思い出す。あれから、それぞれお互いに「違った」道を歩んで行ったことは、どこにでもあるようで誰にでもあることなのだろうけれども、あの「葉擦れ」は、今でも思い出す。あの娘はどうなったかなと思ってみたりもするのだけれども。
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