小学2年生のKちゃんのパパは、「うちの子は学校で算数が弱いって言われたんですよ!(どうにかして下さい!)」と声を荒げた。Kちゃんが三桁の足し算や引き算を作法通りに苦もなくやっているところを見て、「弱いですか?」と聞くと、「担任の先生は特に数字がニガテだ、というんです」とフンガイしている。確かに、いきなり13は4と2となにの組み合わせ?とかこの三角形はなに三角形?と聞くと、答えに迷っている。何のことはなくて言われたことのないことに迷っているだけであり、「知らなかった」「見たことない」ことに遭遇しているだけで、そこで迷えば周りの人は、その子はそれが「ニガテ」ということになって、親も子どもも、先生までも「数字がニガテ」だから「理科系」よりも「文科系」とトントン拍子で、その子の「将来」を決めてしまう。あまりに、世の中をあげて「分類」と「整理」が好きで人間もそこにおさめてしまうと「安心」してその他の「可能性」にフタをする、のはいかがなものか。では、体育系は?音楽系は?美術系は?と聞きたくなってしまうのだけれども、理系と文系という言葉ほどイヤなものはなくて、それを聞くと人生を半分(以上?)ずつ切り取られていくような、「寂しさ」を感ずるのは私だけだろうか。いずれにしても子どもが世の中に出て、絵画の情緒と数式や建築物と感性や科学と悪霊や健康と不治の病や男と女や…要するに魑魅魍魎の世の中に比べて、自分が随分と単純な工程表のもとに進んできたことを悔いて、昔の周りの「大人たち」を恨んでしまったりすることになるのだけれども、そのときにはもう遅い。「将来の」子どもと大人のために、「科学」という「単純化」に要注意、だと思う。
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