一人一人の意識が変わっていくことが、解決策ですね。
3Rのうち、リサイクルには、???を感じています。
その最たる物は、ペットボトルです。リサイクルするために、エネルギー(発電)をつぎ込んでいるように思います。
夏のエアコンによる電気の大量消費。
生活排水による河川の水の混濁。
(川の源流から、河口まで、水を採取して調べていくと、河口に近づくに従って、水の透明度が落ち、大腸菌などが増えるのは想像に難くありません。)
友人が昨年四月から続けてきた小田原再生フォーラム http://forum.katoken.info/ 11日午後いっぱいを使って、小田原市市民会館会議室で行われた。 ずっと行きたいと思っていていけなかったこのフォーラムだが、今回がとりあえず最後ということで、前日の10日から小田原入り。お子とともに「小田原の実家」にお世話になる。 うまいサカナ、うまい酒、まちづくりの話で前夜祭。 今回のフォーラムのテーマはごみ、であった。 講演者は 菅野 芳秀氏 (山形県長井市/レインボープラン) 参考:「レインボープラン推進協議会」http://lavo.jp/rainbow/ 松岡 夏子氏 (徳島県上勝町/NPOゼロ・ウェイスト・アカデミー) http://www.zwa.jp/newhp/index.htm 参考:「ZERO WASTE ACADEMY JAPAN」 大量生産⇒大量消費⇒大量廃棄の社会構造のなかで、ごみという現象への住民の関わり方を変えていくことで、市民の自律・自治意識が高まり、社会構造を変えていくところにもビジョンを持っている二つのプロジェクトのリーダーの話とあって、興味があったのだ。 と前置きをしたうえで、いつものように、とりあえず、メモ書きをアップ。 うーん。 この話のなかでもっともグッときたのは菅野さんの「柿の実」と「柿のタネ」の話でした。素敵だ・・。 松岡さんは「横浜に住んでまして・・」と話しかけると「あ、G30 ですね!」といわれました。いや、34分別のまちの方に言われるほどのことでも・・・と思ったり。 二人とも、地域の人たちの力が、地域をデザインすることを目の当たりにしているだけあって、人の力を信じている。 それが、とてもまぶしくて、どうしたらできるの?と思いつつお話を聞いていた。 横浜にも、呼びたいぞ!!! ================ここからメモ================== ◆徳島県上勝 松岡さん 人口2000人85パーセント急傾斜地山林。 まちの活性化のなかに、環境を大きく掲げている。 ツマにはっぱをつける、はっぱビジネスで有名。 Iターンのワカモノがすみついている。 ごみをゼロにする取り組みを行政の核としている。 ◆山形県長井市 菅野さん 畑と台所を結ぶ循環をつくるしくみ。 おおきな循環をつくった菅野さんl、 ごみというものをつかって、地域や市民の自治、地域の住民の力を育てているところがすばらしいとおもっている。 =============================== NPO法人ゼロ・ウエイストアカデミー 上勝町の取り組み 松岡さんは兵庫県西宮市出身。 がゴミ問題に取り組むきっかけ。 ⇒高校まではゴミに対する意識ぜろ。 大学時代に豊島(てしま)問題を知った。 自分の生活を思い直してみると、 世界各地でつくられたもの食べてる =自分の町にすみながら安全な食べ物をたべたいと思うなら、 ごみのゆくえもきちんとしらないと、本当の安全なたべものはたべられないのだなあ、とおもった。 循環について学ぼうと、デンマーク留学したりした。 けれど実践はなかなかむずかしい。 ホームページに四国でごみをへらしている町があるとしった。 タイミングよく、その活動を広げるNPOをつくるということで、町が職員を募集していた。⇒4年前に職員に応募し採用された。 上勝=夕焼けがみることができないくらい、切り立った山があり、50の集落が山の尾根沿いに点在している。 高齢化率が48パーセント、四国で一番小さい町。 元気なお年寄りおおい。 上勝町と協働し、ゴミをゼロにすることがミッション。 町がNPOづくりを主導。松岡さんは町職員として採用され、まずは、NPOをつくるのが仕事となった ⇒NPO法人が設立されてからNPO事務局長に異動。 スタッフは3人の団体。 山間地域から都市に発信していく冊子も発信。 ゼロ・ウェイストという「考え方」=ものの「無駄・浪費・ごみ」 無駄資源ゼロ。最終処分される廃棄物をなくす。 オーストラリア・ニュージーランド、欧州などに広がっている考え方。 日本の現状とはことなる。 出たゴミをまず燃やす、というのが常識。 だから「燃えるごみ/燃えないごみ」という分類が通常疑いもなく使われている。 そうではなく「リサイクルできる/できない」という価値を、燃える燃えないの手前に置くこと。 ⇒そして、最終的には「経済的・技術的にリサイクルできないもの」は生産者につくらせない、生産者はつくらない、というところを目標にしている。 【ゼロウエイスト=2つの主体が「責任」を持つ】 ◆地域の責任 ゴミ処理の脱焼却・埋め立てを目指す ゴミを資源として活かす方向に行政はリーダーシップ、プランニングをしていくべき ◆生産者の責任 日本であまり議論されていない。 大量生産⇒大量消費⇒大量廃棄 リサイクルできない製品が売られてしまっていること自体に問題がある。 上勝町 =昔は野焼き ごみ処理にはお金をかけない。2000年ごろまで、庭で焼くのを奨励していた 焼却炉が使えなくなる⇒ごみ減量が自治体存続にかかっていた。待ったなし。 お母さんたちにキッチンスケールをくばって、ごみの記録をとった(ごみの組成調査) 100人にお願いして調査のもとになった。=焼いているごみのなかで、生ゴミが大部分であるとの結果が出た。 ↓ 生ゴミは水分があるので重油をかけて燃やしている 現在は、コンポスト(町が補助)の導入、で生ゴミについては 自家処理100パーセントになった。 駐車場をすべてアスファルトでなく、一部土にして、コンポストスペースをもうけている。 マンションなど共同住宅も、共同コンポストを使っている。 平成12年ダイオキシン類対策特別措置法により、上勝町では焼却中心のゴミ処理が困難になった。 13年に焼却炉の閉鎖をした。 =焼却前提のゴミ処理フローを続けようとするとトン/30万円という途方もない額になることがわかった。 ちいさなものでも、焼却せずにすむものをみつけている。 割り箸をリサイクルしてくれるところがあるときけば、割り箸だけを分別してもらう、蛍光灯をリサイクルしてくれるメーカーをみつけたら、蛍光灯だけを分別する、とどんどん循環のための道筋をみつけていったら、34分別になった。 ごみではなくて、もう一度どこかでつかわれるもの、ということを町民のみなさんにわかってもらう=ナガシのところで、きれいに洗うことを徹底する とはいえ、一世帯に7つぐらいのごみばこで済んでいる。 町では、ごみ収集をおこなっていない。 町民は、町内に1ヶ所設けられたゴミステーションに持ち込む。毎日午前7時半から午後2時まで開所している。 基本的に車でみんな持ち込んでいる。 車を持たない人、高齢者(上勝町の場合、90歳以上の人を指す)を対象に、シルバー人材センターの人がが2ヶ月に1回、回収にまわる。(近所のひとがついでに持ち込んであげる例などもあり) ごみの回収がないということについて ⇒どこまで行政サービスでやるか?自分で買ったもののごみは、げんそくとして自己責任で処理することを原則する。 スーパーマーケットの反対=ごみステーションでは、町民みずからが自分で 迷わないように、明確な分別。 処理のされ方のなまえでなく、分ける人にとってわかりやすい目印(ものの種類の名)でやると町民はわかりやすい。 3、4年経つとだいたいの人がなれた。 約8割がリサイクル・堆肥化の処理。 暮らし方自体が、エコである。 なんでもかんでも買う=ものを買うということはゴミとしてでるということ。 身の回りで用を足すことをわすれてしまっているのではないかと感じる。 こうした暮らし方の違いもゴミの少なさに反映されている。 子供のゴミに対するイメージ(五年生) 上勝町の子=一つ一つのものとして認識した絵を描いた。 分別行動を通して、日常のなかで分別をすることが良い環境教育になっているのではないかと思った。 子供たちと一緒に考えたこと=リユースショップ リサイクルだけでなく、リユース =でてきたものをそのまま使う。 =くるくるショップ 循環してもらうにはイメージづくりが大切 =無料 こんな商品がある、ということをブログでも発信している。 リユース=貧乏くさい、でなくリユース=エコ、おしゃれというかんじにすることが大切。 燃やせば簡単。でも、それは人のかかわりの場を奪っているのではないか てのかからないこと=人の活躍する場も奪っている。 おまつり 使い捨て容器使用をやめた。 =ヤキトリの串、などというわかりやすい表示が大切。 上勝町ゼロ・ウェイスト宣言をしている 世界中に仲間作りをしようとしている。ネットワークしたい。 =生産者の責任に関連する。 製造段階から分別しやすい、リサイクルできる製品設計をしてほしい、と訴えていきたい。 コンビニでうられているのみもの=20近い容器がある。 ストローがついていたり、袋がついていたり。 しっかりリサイクルしようとすると消費者はたいへん。 北欧では⇒ 飲料容器=デポジット 返却された容器は、機械で洗う=規格を統一する ごみになったあとで努力するのでなく、ごみになるものを生産しない社会作りを一緒にやっていく仲間がほしいとおもっている。 愛知県にっしんし(8万人) 収集もしているが、そのほかに、役場と農協のそばにエコドームという市民による分別施設。 40近いものを分別して回収している。 ごみ収集が普通にあるにもかかわらず、重量比で15%が持ち込まれている。 ======================================= レインボープラン(長井市) 191センチ108センチ もとプロレスラー/26歳から農家の後継者 2.4ヘクタールと自然養鶏 31年間農業やってきた そのうち、38歳から夢中になって取り組んできた生ゴミを活用したまちづくりについて話したい。 人口は3万1000人。。農業(3000ヘクタール) 水切りバケツに毎日の生ごみをためる。 230箇所のところに週二回もってきてもらう。 分別がいいことである、という思いが共有できていないと ごみはぶんべつ、ひとはふんべつ、と合言葉。 いつまでもつづく、という2つが両立しないと 成立しない。 レインボープラン =8年間のテスト期間ののち、10年間つづいている=約18年つづいている。 分別システムの勝利だと考えている。 ⇒他人のごみを眺めることができる。 ⇒ある種のコミュニティのなかの、視線を意識する。 プライバシーの侵害につながるというクレームは一切なかった。 5000世帯の参加率は100パーセント。 燃えるごみに、生ゴミを出すのは有料である。 ごみを堆肥センターまで業者が運ぶ。 畜ふん農家が1トン五円を払っておいていく。 1200トン/年 400トンのちくふんが年に投入されちる。 住民の生ゴミから、400-500トンの堆肥を作り出す。 原料が多様であればあるほど、堆肥の養分も多様になり、発酵すると一級の堆肥になる。 酪農家のちくふん堆肥より塩分がすくない。 3カ月熟成する。 5000世帯が年間生み出す金属異物の量=ほとんどまざっていない。磁石でとる。 ビニールごみ=ふるいにかえる 1トン4000円。 年に2回肥料分析している レインボープラン 認証委員会があり、減農薬・減化学肥料で ヨメにだした生ゴミが、野菜、みそ、納豆、クッキーや豆腐、コロッケ、そば、酒(名前はよみがえる) 加工食品を扱う事業者が、中国とかアメリカの農産物でなく、自分たちの周りの作物をりようするようになった。 消費者と生産者がボランティアによるレインボープラン生産品ショップ 3人の農家と40人のボランティアが農作物をつくっている。 4つのながれで町にもどっていく。 学校給食(3200人=ごはん給食。すべてのごはんがレインボープランのごはん) スーパー 直売所 加工食品 レインボープランのまちづくりとは ⇒ 消費者が堆肥を生み出す堆肥の生産エリアにかわっていく。ムラの作物生産エリアが、堆肥の消費エリアになる。 まちなかと村場が、循環的関係で結ばれていく。 生産と消費、生産が消費であり消費が生産であるようなしくみ。 生ゴミの循環を通して、いのちのまちづくりを進めて行こうとしている。 村ででた言い作物をことごとく東京にだしてきたまちづくりから、農地とともに安全・安心の町を育んでいこうという目的の転換があった。 堂々たる田舎町に自分たちの町を変えていこうというのが背景にある。 農水省・環境省のモデル事業として何度も挙げられた。 読売新聞の環境自治体グランプリで1位になった。 まちのなかの生ゴミがすべて資源として優良な堆肥になっている =生活系カネンごみ33%が消えてしまった。 かつ、生ゴミを分別することによって、ほかのごみも波及的に減る。 ふつーは1パーセント減ぐらい。 環境保全型農業への流れを形成してきた。 まちづくりへの市民参加が促進されてきた。 行政と市民がいっしょに進めている、市民イニシアティブで進めている。 同じ地域の生活者としてともに協力していくのだという理念がいきている。 みんながプロセスを共有し、結論をシェアする、分かち合うというスタイルをとっている。 子供たちも参加している。こどもたちにしてみたら、格好の環境教育であり、地域教育である。 一番大きな成果とおもうのは… 生ゴミ分別者のところにいって、「こんなことやらされて、いやぢゃないか?」と質問している =長井市民は苦しくないです、むしろ、お茶ガラと紙ごみを一緒にすてていることを考えると今の方がきもちいい。 この町が大好きで、誇りに思っている 生ゴミを資源をかつようすることによって、 まちとむらの連携(まちがムラの農地を思い、ムラはまちの台所を思うそのことによって、 未来の権益を侵さないようにしている) この事業は、行政主導によってつくりだされたものでない 市民の中から発案され(2、3人) 主要な団体に呼びかけられた。 長井市にこのプランが プロジェクトの趣旨をもって、市民らがそれぞれ関係者をまわった。 そして集ったなかまが、さらに仲間を増やし、市長を動かしていった。 受け皿は市民 行政との協働がきまってから農協にいく。 市民の行政参加、とはいっていない。地域づくりへの行政参画といっている。 いまもこの関係が生きている。 谷があったり、山があったりするのはたいしたことではない。 大変ではあったかもしれないが、苦労ではなかった。たとえていえば、 好きな女のところに会いに行く、その道が川があったり谷があったりするのは 難儀でない。 こんな町をつくりたい、という強い思いがあれば、ちょっとした谷なんてなんてことない。 大変かとおもうけど苦労ではない。そんな過程である。 タイで二つの地域でレインボープランという事業が始まった。 まちづくりが国境を越えていった。 1トン3万円/ダイオキシンでない道。 どうしてこの長い運動が持続したのか? 2つのポイントがある ◆一つは市民の力の大きさ。もっといえば、女性の力のすごさ大きさ 女性のちから抜きには成立しなかった。 なまごみを堆肥センターにどう届けるのいいか? 2年間議論して、部会長はやめてしまった。 ビニール袋にしよう=ここでビニールつかいたくない、と女性たち。 紙袋に新聞につつんだ生ゴミ方式というものが採用された。 女性団体がアンケートとった=できる、ということでやった。 ほかの町村に視察にいって、紙袋+新聞紙方式をやめて、コンテナ方式に転換する、と女性たちが再提案 理想だけおいかけ、一度決めたことをひっくり返すのはおもちゃをほしがる子供と一緒と部会長(オトコ・医者)は反対したが=女性たちはアンケートをとって、コンテナ方式のほうがいいという結果を出し、結局コンテナ方式で実践していくことになった。 この過程をリードしてきたのは女性たちだった。 これ自体を紙芝居にして、女性たちが学校を回って、レインボープランが始まる、やるんだ、という意識を醸成していった。 ◆市民と行政の協働の大きさ やらされてる感があるとだめ。市民の発意から8年5年間360回の討論があった。事業の目的・ビジョンの把握、行政のサポートする施策がその背景で転換していった。行政が黒子になってうごいた。この動き方が事業を成功にみちびいた。 ◆希望づくり。 お互いをみとめあい、肯定することからはじまるんだ。 農協には農協の、行政には行政の、あるひとにはあるひとの欠点がある。 お互いのいいところを肯定しあうことによって生み出されるエネルギーが、くたくたになった自分を動かしていく。 地域がかわるというとき、批判からではなく、お互いを評価し、認め合うことからうまれるパワーが地域を変える。 ◆ウサギとカメ カメはゴールをみていた。 ウサギはゴールをみていなかった。カメ、をみていた。 構想のゴールはむちゃくちゃ遠かった。 だけど、自分たちは目的にむかって、あきらめずにつづけてきた。 12月ごろになると、雪になる。 それを見つめている。 柿が真っ赤に熟している。 雪といっしょに落ちていく。 みなさん、落ちていく柿のみに、マイクをむけて、あんたの気持ちをおしえてほしいと思ったことはないですか?(笑) 柿の実は=ジンセイは終わりだ、とおもっていて、予感したように破滅していく。 しかしその実の中の柿の種=おれはこれからだ。十分ふくらんだ。芽吹く春がきた。柿の種はそう思っているだろうう。 1つの柿の実のなかに、異なった物語が同時に存在している。 柿の実、の立場から不安だ、どうしたらいいかわからない、といっていても何もはじまらない。 柿の種の立場にたって考えたい。 考えなければならないことは、何が柿の種なのか? 何がこのまちにとって「種」なのか? 希望というのは、他人から与えられるもんでない、自分たちがはぐくむもの。 だれかが、突然プレゼントしていれるものではない、自分がはぐくんで、構想している以上の希望は、ありえない。 そのようなかたちで歩んできた。 2006年のピーマンと1954年のピーマン、栄養素の量が格段に違う。 同じピーマンを食べていても、昔のピーマンのほうが栄養素の量が多かったのだ。 化学肥料・農薬でつくっているピーマンと堆肥でつくっているピーマンの違いだ。 レインボープラン=50年前、当たり前だった「命あふれる作物」をつくりだし、地域で生きていけるいのちの基本である土から地域づくりを始めていこうという事業。 長井が5000世帯だからできた、大きな町ではできない、といわないでほしい。 言ったところからもうできないんだ。 小学校区でやることだってできる、小田原を7つ8つの長井だと考えて考えてみればいい。 もし、20万都市の小田原でレインボープランが実現したら日本は変わるでしょう。 ========================================= ひやまさん: ごみ問題=ゴミ処理施設反対運動にしない観点はどこか? 2市8町でやらざるを得ない部分と、 なまごみの部分。自治会の単位、マンションのなかで、生ゴミ処理を自分たちの責任でくらしのなかで、やっていく。 小さい規模のしょりと広域的な処理を組み合わせていくことが必要か?と地域のごみ市民会議のなかで、話をしている。 実践のなかで、市民もやれることを模索。それにたいし、生ゴミ処理機の補助メニュー、ゴミ処理のたくさん出している人と、少ない人も負担額が同じ。ゴミ削減に努力しているひとが報われる仕組みの検討も必要。 真鶴町のうらべさん(町職員)=まちづくり ・かんのさんの話、何点 長井市はごみを出すひとがゴミの出し方について決定をした。5000世帯100%。 ・定着した理由、広がった理由 たちあげていくときにキーマンがいるだろう/大変だったこと/どうのりこえていったか 松岡さん ・なぜかみかつがそこまでできたか? =きっかけは地球環境ではなかった。法律がかわって焼却炉が使えず、トン/30万というありえない額が提示された。 =行政的には、本気になってとりくまないといけない。青年会、婦人会などが必死さを伝えた。 隣町にいけば回収してくれるのに、なぜうちの町はだめ、もっていけないよ! 80歳のおばあちゃんが「なら、わたしがもっていく」 年配の方の常識をかえる こどもに缶やビンを洗ってもらう姿を見せる=お年寄りがかわる 葉っぱビジネスもある。きれいな町だからこその葉っぱビジネスなんだ、ということ。 かんのさん ・生ゴミを分別することを通して、進んでいく目的を市民みんなが共有してきた。栄養価低下した現在のピーマンを五十年前の栄養の濃いピーマンに戻したいという思い、ちゃんとした食べ物を食べたいという思い。 手作りで時間かけてつくってきた当事者意識が自分たちにある。 途中で農水省の予算がつく、という話があった。「計画を前倒してやったらどうだ」という話もあった。けれど、事業に関わっていた行政職員はことわった。 「生ゴミとのつきあいかたを通してまちづくりをしたい」という市民の気持ちがすべて。 「予算がつくから施設をつくればいい」というものでなかった。 まだ機が熟していない=なんのためにこのプロジェクトを進めているのかというその目的意識が醸成されていないのに、ハコモノが先にできてもダメだ、と職員が断った。 おれ(=菅野さん)はそのときプロジェクトの委員長をしていたが、その職員に「オマエ、いいなあ」と言った。 目的意識の徹底した共有と時間をかけた議論が、参加・当事者意識を育んだ。この時間があったから、レインボープランは持続しているのだと思う。 お年寄りにどのように参加してもらうか? =堆肥を当たり前につくり、使っていた原風景を知っている70歳以上の人たちに、たどりつくべきゴールの姿を、自分の言葉として語ってもらった。 地域の既存の合意体系のなかで、ものごとを発想していてはだめ。 ヨソモノ・バカモノ・ワカモノ・女性・年寄りをどのように、引き寄せてくるか? キーパーソンをとらえる。 情熱をもっているひと、技術を持っている人、知恵をもっているひと、地域内の三角形にとらわれないひとにかかわりを求めていった。 ・堆肥づくり工場=臭気対策(堆肥対策)はどうしているか ・農家につかってもらう流れを使うのが難しい。地元で農家に使ってもらえない。どうしたらよいか? 堆肥センター=まちの床の間につくろう、隠すのはやめよう、新しい生命系まちづくりの発信拠点になるような施設をまちなかつくろうとしてつくった。 臭気の問題は根本的な問題ではない。いまは解決策はいろいろとある。 レインボープラン自身は、農家の側からの要請で出てきた=堆肥がほしい、という要望があった。土の力が弱ってきていることを農家自身が感じていた。農家側から育まれてきた思いだ。 市民は、台所から田んぼ、畑へ参加している。そして学校に通う自分の子供たちがその野菜を食べる、というある緊張をもって堆肥をつくり、ゴミを出している。 大量生産・大量廃棄のなかで、「ゴミ処理として」堆肥化するという視点で市民が分別したものは、農家は怖くて使えない。 市民自身が「これを自分たちや自分たちの子供が食べるものをつくる土につながっている、堆肥を生産しているのだ」という緊張感をはらみつつ、暮らしを見つめているプロジェクトでもある。 必要なことは、まちとむらのそれぞれについて、きちんと循環が可視化されていることであろう。 |