> 北埜 里一さん
ふむふむ 「臆面も無く」とはたしかにちょっと使い方を間違えたようでございます。
実際、毎日言ったとは違った行動をとる方々のニュースに「臆面も無く!!!」とつっこみを入れる事の多さを考えれば
意味はあってるようなんだけど?!
語っているだけじゃ やっぱりダメなんでしょうね。
行動というかむしろハートの問題かも
龍馬伝も終わり、少しずつ今年の「熱狂」から遠のいて行く感じがするけれども、あの中で何度か龍馬に言わせていた「ニッポン!を違う考えのものが一緒に住める国にしたい」という言葉が残っている。どこかから「龍馬さんよ、それはちくと難しいのう。どうしても違う考えを許さん!という「違う」考えを持つもんはどーしてもおるきにのう。おまさんもそれにやられたんと違うかよ」と言う声が聞こえる。それでも、違う考えを持つものが昔からは少しずつ少しずつ死ななくてすむようにはなってきている、と思いたいけれども、現代はそうやって生き延びてきたものも一挙に死なせてしまう「手段」もいろいろと「発達」してきて、ようやくここまで生き延びてきたものも「まとめて」消えてしまわなければならなくなる時代となってきているので、その数が増えたか減ったかなどという議論はむなしい、と言えるかも知れない。ほたえなや(静かにせよ)!と言って、静かにしなくてほたえているうちはまだ命があるうちで、死んでしまうよりかほたえ続けていると次になにかあるかも知れないと思うのが、かすかな「希望」と言うべきか。ほんまに人間というものは、えて勝手なもんぜよ。なあ、龍馬さん。
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