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2008年03月23日(日) 
≪マスターとは、愛だけを選択した人達である。あらゆる時に、あらゆる環境で、彼らは愛を選択した。≫ 

『神との対話』(サンマーク文庫)より


この本の中で神は、「私達が暮らす物質的な領域には、”不安と愛”という二つの在り方しかない。」と言っている。

不安はちぢこまり、閉ざし、引きこもり、走り、隠れ、蓄え、傷つけるエネルギーである。愛は広がり、開放し、送り出し、とどまり、明るみに出し、分け合い、癒すエネルギーである。また、不安はしっかりと抱えこみ、愛は優しく抱きとる。不安はつかみ、愛は開放する。不安はいらだたせ、愛はなだめる。不安は攻撃し、愛は育む。

人間の考え、言葉、行為のすべては、どちらかの感情がもとになっている。他に選択の余地はない。これ以外の選択はないからだ。だがどちらを選ぶのかは私達が自由に決められる。

マスター達は、自分が殺されても殺害者を愛した。迫害されても迫害者を愛した。

マスターとは、あらゆる時に、あらゆる環境で、愛を選択した人達なのだ。


ダワラっち! 「 (><) く~っ!カッコ良すぎるぅ~!! 」

閲覧数2,598 カテゴリ日記 コメント4 投稿日時2008/03/23 16:47
公開範囲外部公開
コメント(4)
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  • 2008/03/24 19:15
    この前、話しましたが

    「中村天風」という人も真理を得ました

    宇宙には2種類しかない
    昔風にいうと「消極的」「積極的」
    今風にいうと「ネガティブ」「ポジティブ」

    またこれらは変換できると言います
    「破壊」「創造」
    「疑心」「信愛」

    「神様」「神」という言い方も
    みずっち的には抵抗感があります
    (既存の宗教と混同しがちなので)

    大いなる意思

    何でしょうかね?!
    次項有
  • 2008/03/25 01:45
    書きこみありがとうございます。

    そうですか。中村天風さんという方の著書も面白そうですね。今度読んでみます。
    最近みずっちと知り合って課題図書が増えました。これからもお勧め図書あったら紹介お願い致しま~す。

    ”大いなる意志”良い呼び名ですね。この呼び名のニュアンス、僕も好きです。
    他にも宇宙、命、自然、愛いろいろ呼び名はあるようですが、僕はそれほど呼び名にはこだわりません。その時々によって臨機応変に都合のよい呼び方をしているのだと思います。(^^;)
    僕が本名で呼ばれることもあれば、あだ名で呼ばれることもある、またダワラっち!と呼ばれる事もあるのと一緒ですね。
    神様の本名はなんと言うのでしょうか?あったら知りたいですね。(^_^)

    既存の宗教ですか。なるほど、宗教は営利団体になってしまい本来の機能を損なってしまったようです。その辺が原因でみずっちの中に抵抗感が生まれたのでしょうか?

    僕が興味を持つのは、あくまでマスター達、つまりキリストや仏陀ですね。彼らはREALLY COOLです。

    次項有
  • 2010/01/23 11:05
    お初です。

    善いか悪いかどちらを選ぶという事よりも、愛か不安もどちらが良いと言う事ではなくて双方を認めていく事が大切なのかなって感じます。

    ちょっと話が変わりますが、この日記の読んでいて合気道開祖が合気道の基本理念の1つとして掲げた、「武は愛なり」、「万有愛護」というのを思い出しました。

    合気道は開祖が精神世界への指向性が強い人だった影響か、武道の中でも精神性が強い方だと思います。

    少し道文を置いておきます良かったら読んでみてください。^^

    「合気道の極意は、己の邪気をはらい、己を宇宙の動きと調和させ、己を宇宙そのものと一致させることにある。合気の極意を会得した者は、宇宙がその腹中にあり『我は即ち宇宙』なのである。宇宙の心とは何か、偉大なる『愛』である。『愛』に争いはない。『愛』に敵はない。何者かを敵とし、何者かと争う心はすでに宇宙の心ではないのである。宇宙の心と一致しない人間は、宇宙の動きと調和できない。宇宙の動きと調和できない人間の武は、破壊の武であって真の武ではない。」---植芝盛平

    「合気は生き年生きる者の愛の動きを示したものにほかならない。この愛の動きが、宇宙を形造るものであって、宇宙の総てのものを清浄する。この動きこそが宇宙万物を護り育て、これを生々発展せしめるのである。」---植芝盛平
    次項有
  • 2010/01/23 14:54
    こちらこそ「はじめまして」です。
    書きこみありがとうございます。

    他の方のブログでお名前は拝見していました。
    (^_^)

    「愛か不安のどちらが良いと言う事ではなくて双方を認めていく事が大切なのかなって感じます。」

    その通りだと思います。
    おっしゃるように、まずは双方を認めることが重要ですね。
    不安を否定していては、精神的な進歩は望めません。

    また、この言葉で大切なのは、それら双方を認めた後≪どちらを選択するかはあなたがた次第だ≫という部分です。つまりこれは「あなたは愛か不安のどちらを選びますか?」という私たちに対する問いなのです。
    愛が良くて、不安が悪いという話とはちょっと違います。不安を悪い事とするのは、不安を受け入れているとは言えませんから。

    マスターと呼ばれる人々は不安から生み出された人の行動である暴力をも受け入れ、自分が死に至ったとしてもその人々を愛し続ける。
    こういった超越した精神の持ち主にあこがれているという日記でした。
    f(*^^*)
    わかりずらくて、すいません…。


    そうですか~!
    合気道の極意は奥深い精神性を湛えているんですね~!

    驚いたのは、合気道の極意に書かれている事がスピリチュアルな本の中で語られている内容とまったくと言って良いほど一致していることです。
    きっと植芝盛平さんは、宇宙から(神から、内なる存在から、色々な表現があると思いますが)のメッセージを受け取り極意を生み出していったのでしょうね。

    達人といわれる人達は、どこかで宇宙の真理とつながる何かを知っているようです。

    気になりましたので、改めてWikipediaで、合気道を調べてみました。

    まず驚いたのは、創始者の植芝盛平さんは身長150センチ余りしかなかったこと。

    また以下の部分に、他の格技との違いを感じました。

    合気道では「相手の欲するところを自ら与える」などと言い、一般的に相手の攻撃に対する防御技・返し技の形をとる。
    投げ技・固め技により、相手を傷つけずに制することが可能とされている。

    また、
    盛平の弟子の中には…、ヨーガを日本に持ち込んだ『中村天風』の影響を受けた合気道師範も多く、合気道の精神性重視という気風を次代に継承している。

    中村天風さんについてのコメントがこのブログへのレスにありましたので、軽いシンクロを感じました。
    f(^^;)

    ありがとうございました。

    ●Wikipedia「合気道」
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%88%E6%B0%97%E9%81%93
    次項有
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