『性的唯幻論序説 改訂版 「やられるセックス」はもういらない』 岸田秀著、文春文庫、2008年9月10日初版発行、743円+悪税 20代のころ、岸田秀の『ものぐさ精神分析』シリーズを むさぼるように読み漁った。 人間は、ことセックスに関しては本能が壊れていて 幻想を抱かなければ興奮できないとする 史的唯幻論は本書でも健在だが 30年のあいだにセックスをめぐる状況は大きく変わった。 アダルトビデオの登場で セックスに対する幻想(というか妄想)までもが 大きく崩れ始めたのだ。 女性の性への欲望が解放された結果、 シロート娘までもがフーゾク嬢よろしく 「ご奉仕」するようになった。 勃起してもらわないと 自分の欲望を満足させられないからだ。 このような状況に対応するため 岸田せんせも社会学者のように フィールドワークで現場の声を拾い集めなければ ならなくなった。 (文庫版あとがきによれば、 フィールドワークが本書を書くエネルギーになったようだ) 現在の状況は決して悪くないと 岸田せんせは言う。 ある意味、江戸時代に戻っただけだと。 (当時、アダルトビデオはなかったが 性に関しておおらかだった) 明治になって、 男がセックスに飢えるようになったのは 男を継続的に働かせるための 資本主義からの要請であり そこでは男も女もみじめなセックスしかできなかった。 と、いうのが本書の眼目。 「セックスは趣味」と言われると いささか拍子抜けもするが 「お互いが楽しければそれでいいじゃないか」 と、言われれば、その通り。 本書は、セックスの観点でも 近代は終わったことを明らかにしてくれている 好著。 |