朝日新聞「視点」ボツ原稿 ESD(持続可能な開発のための教育)をご存じですか? ひらたく言えば、子どもや孫の世代が安心して暮らせるよう、地域の課題を発見し解決に向けた力を養う教育のことです。 エネルギーの浪費が資源の枯渇や地球温暖化による気候変動(洪水や干ばつ)を将来世代に残すことになった反省から生まれてきたものとも言えます。 現在では、環境問題に限らず、人権、国際交流や途上国支援、地域の課題解決など、さまざまな形でESDが実施されています。 「国連持続可能な開発のための教育の10年」は、2014年で終了しましたが、日本ではESDをさらに推進する必要がある、と実感させられる残念な投書を2本も朝日新聞紙6月6日「声」欄で拝読してしまいました。 ひとつは18歳女子学生の「日本のごみ箱をもっと増やして」というもの。 「ごみは自分で持ち帰ろう」というスローガンに反して「草むらや河原など人目のつかない場所には捨てられたごみが多い」現実を直視して、また、公共の場所にはごみ箱の多い米国例にならって、ごみ箱を増やしてもらいたいとするものです。 もうひとつは69歳男性の「憲法9条と96条改正が望ましい」。周辺諸国との信頼関係の中で平和を希求することをうたった憲法前文に反して「東アジア情勢を見た場合(略)憲法前文のような状況が成立しているとは言い難い」から「戦力は持つべきだし、自衛隊も軍隊として位置づけるべきだ」というもの。 いずれの投書も、提案内容が問題の根本解決につながるとは思えないばかりか、「あなたはその問題に本当にコミットする気があるのですか」と、たずねてみたい欲求にさえかられるものです。 と、いうのも、女子学生がごみ箱を増やしてほしい理由が、自分の「テイクアウトしたコーヒー容器の処分に困る」からであり、69歳男性はおそらく新聞やテレビだけで東アジア情勢を見ていると思われる情報しか持ち合わせていないから。 女子大生が使い捨て容器をやめてマイボトル(水筒)でコーヒーを飲んでくれたらごみ箱は必要ないし、東アジア情勢が話し合いで解決できれば自衛隊を軍隊にする必要もない。 現実を直視することはESDでも必要とされるが、現実を追認するばかりでは問題や課題は解決しない。 ESDでは、公共のごみをだれが回収・処分するのか、その費用はだれが負担するか、地方自治体の財政は火の車でごみ処理費が増えれば教育や福祉の予算を削るか借金を次の世代に回すことになる点まで学びます。 そのうえで、どうすればごみ問題を解決できるのか、参加者がいっしょになって考えます。 場合によっては、行政や政府に政策提案することになります。 国際問題がテーマでも手順としてはおなじ。 新聞で理屈を言い合っているよりも、中国など、他国に出かけて友好を深めることがたいせつです(わたしは20代のころ日中友好で、仲間とともに上海、西安、北京で合唱団の演奏をしてきました) 現在の日本の抱える閉塞感を打破するために、ESDの推進がさらに必要とされるゆえんでもあります。 追伸、上記のような投書を掲載する朝日新聞は 自らのポリシー、よって立つべきところを捨てている。 安倍首相に屈服したと言われてもしかたがない。 |